形式を壊す品格。「フォレスティエール(森の番人)」と呼ばれる深緑のコーデュロイのスタンドカラージャケットである。
これは、ジャン・コクトーやサルトル、ジッドを顧客に持つARNYS(アルニス)によって、当時大学で教鞭を取っていた建築家ル・コルビュジェが黒板に書く際、腕の上げ下げがしやすいよう製作された。
みずから働き、得たお金で、暮らすことで、人間の品位は備わると労働を品位で説いたのは、当社創立者と近かった中野重治だった。
数年前連合設計社の50周年祝賀会の開催にあたり、社長、戎居連太をフィレンツェのサルトリア(仕立てスーツの職人)に引き合わせたことがある。店を構えず閑静なアパートの一室で、旧貴族等、顔見知りの客の為だけに仕立てる、技にも機根にも長年の修練を積んだ昔気質の職人である。世界的なファッションメーカーの社長が採寸のためパリへの来訪を幾度求めても、地元を離れようとはしない。「生まれも育ちもここだから、地元以外の食べ物は口に合わぬから」と言いながら。彼の趣味だという養蜂で採取した蜂蜜の大瓶を頂いた。一さじ一さじ大切に食べていたのに、ひとすくい口に運ぶと同時に吸収され、活力に変化するような蜂蜜は、あっと言う間に空になってしまった。アマチュア(AMATORに由来するところの)だからこそ到達できる領域があるのだろう。地に足がしっかりついた生活者、そんな気質の職人だ。高齢とはいえ、眼光の鋭さも色っぽさも、その辺の若いイタリア男でさえかなわない。
彼が言った、「建築家ならコーデュロイ。コーデュロイのスーツは建築家かコミュニストが着るものだ」と。
戎居はとにかくよく動く。打合せやら工事現場やら講座を受け持つ教室やら、室内外を問わず色々ある。現場から改まった会食の席に直行せざるを得ないことも多々だ。やっぱりコーデュロイかツイードか。このタイミングに、ビスポークテーラーTHE CRAFTIVISM信國太志さんがカシミヤのコーデュロイがあるとご提案下さった。色は重心が低く落ち着きがある、が、紫。私が心配する間もなく戎居は即決する。そして後で尋ねる「紫のスーツだけど、大丈夫?」。
肉体を越える装いの美しさ。
裸体以上の肉体の美しさを、職人の美意識で装うことができる。身なり(装い)が生身の肉体以上にその人を表現すると思案したのは、ブレッソン監督「抵抗」の主人公フォンテーヌだが、それは推し量るに難くない。
着る側にも要求される思考と感性(美意識)。
形式を維持することに固執するのは、品格でなく権威主義ではないかと中野重治は示唆したのだろう。
ならば大丈夫。
彼の根性を持ってすれば。
菩提寺光世
2012.11.29