領域

投稿日:2013年05月09日

 

ガーデンという言葉には自分でコントロールできる領域というようなニュアンスがあるのではないか。
イングランドから帰国した古い友人が言った。
庭師だけでなく農夫もガーデナーと呼んでいた。ファーマーは主に酪農家を指していた。僕はマーケットに収穫した農作物を卸していたから、マーケットガーデナー。
ガーデンはアートのようにネイチャー(手つかずの自然)に対する意味なのか、ぼんやり頭に浮かんだ問いを発する前に彼からの回答が続く。ほら、クラプトンのアルバムに”Thorn Tree In The Garden”ってあるでしょう。あのガーデン。心というかその人の内面というか。
お茶を注ぐ音と立ちのぼる湯気をくぐるようにそう語る、仕事も作業着も道具も食べる物も自分の領域と直結している少年の頃から変わらない彼のスタイルにいつも通りの安堵を覚えながら、熱いお茶にまたひとくち口をつけた。オックスフォードの白のボタンダウン、街ならばウエストンのローファー、農作業や山道はゴローの靴、寒い季節は紺色のガンジーセーター(ガーンジー島:フランスに近いイングランド領の島)。何年も何十年も彼が身につけている同じ服や靴は、摩耗と修理を繰り返しながらすっかり彼に馴染んでいて、関係性まで生じていると思うことがある。物以上の親しさが、彼と彼の持ち物の間にある。農作業に使っているバブアーの修理を重ねた上着は、油がすっかりしみ込んでしなやかにヘタり、深い緑はさらに深く艶やかな光沢を帯びていた。
ダニエルが嫉妬する緑だ、夫が言ったと同時に私も思い出していた。

 

僕はこの深緑に嫉妬してしまう、あの日ダニエルはそう言って笑った。あの頃ダニエルは今までの仕事を一旦休業して、ステファノ ベーメルで見習い職人として働いていた。私も一旦休業中で、ステファノから靴のあれこれを教わることを理由に、特に制約のない気楽な時間をフィレンツェの滞在にあてることにした。春を目前にみぞれまじりの湿っぽい雪が続いた年だった。部屋を借り、午前は語学教室、午後はステファノの工房へ通った。
ステファノが居ない時は、ダニエルが質問に応えてくれた。どのような場面でどの靴を履くか、これは何の革のどこの部分で、どのような特色があるのか。
見習いとは思えない知識と器用さ、そして誰にも真似できないジェントルな雰囲気がダニエルには備わっていた。ある時、私が映画に興味があることを知った彼の質問に、観たなかの出演作では”マイ ビューティフル ランドレット”が気に入っていると回答したことをきっかけに、私たちは互いのことを話し始めた。彼もそして私も仕事のこれからを考えていた。様々な制約によって互いの仕事は、自分だけでコントロールできない領域にあった。
アーレント式に公的領域と私的領域に区分するなら、古代ギリシャから彼の職業(Actor)は活動(Action)そのものだから、公で活動する彼の職業が公的領域に属するのは定めかもしれない。
自分の目指す方向と周囲の期待を感じるほど、それらの重さから解放されたくなる時が、私たちのあの頃だったのだろう。

 

その年の夏休み、今度は夫とフィレンツェを訪れ、ダニエルは私の靴を作って待っていてくれた。雨の日も気楽に履けるノルウィージャン ウェルテッド製法、ビブラムソール、子供靴のようなストラップ、ホーウィン製のバスケットボール型押しの丈夫な革。私が描いたデザイン画を見て、子供っぽいと乗る気がしないステファノに代わり、このデザインを気に入ったダニエルが引き受けることになった。

 

ダニエル初の記念碑的「商品」を私にと、ステファノ独特の気遣いだったのだろう。

 

履き心地は悪くなかった。安堵したダニエルは、今度はステファノが作った夫のアンティークレザー(ロシアンカーフ)の靴を見て言った。この色に嫉妬すると。彼はアンティークレザーでなく、そのインソールレザーを指していた。それまではナチュラルなヌメ革と決まっていたインソールレザーを、好きな色に変えられるよう提案したのは夫だった。
顧客だったダニエルは同様にアンティークレザーに枯れた深緑のインソールを注文したが、ヌメ革で上がって来たのだ。注文の色は彼の故郷イングランドの馴染み深い色だった。でも18世紀末から海底で眠っていた沈没船から引き揚げられた希少価値の高いアンティークレザーの作り直しは、あり得ない。

 

再会したダニエルはすっかり靴職人で、洗いざらしの木綿の白いシャツには穴があき、生成りのパンツは彼の長い足のくるぶしまでも届かず、素足に革のサンダルでいつも穏やかで優しかった。
彼の静かで穏やかな生活は、徐々に知れ渡った周囲の喧噪に乱された。工房2階事務所の電話は、ニューヨークタイムズの記者を名乗る見知らぬ男から執拗に繰り返し鳴らされた。ドアを開けた途端、カメラのフラッシュが無作法にだれかれ構わず射した。ステファノは真っ赤な顔で蹴散らした。

 

靴や家具を作って暮らしたいと言ったダニエルの声が頭の中で再生していた。

 

ステファノがこの世を去った前年に開催したStefano Bemer × rengoDMS展を訪ねてくれた友人のガーデナーが言った。
靴はもう要らない。今日ステファノに注文する靴が出来上がったら、次の一組をS.Bemerでビスポークしよう。僕の人生で必要なものは、あとはこの2組だけだと分かった。

 

Daniel Day-Lewisが3度目のアカデミー賞を受賞した翌日、私はあのバスケットボールレザーのストラップシューズを履いた。

 

きっと彼は彼のガーデンで誰にも、何にも侵害されることなく、思うままに家具や靴を作っているに違いない。

cameraworks by Takewaki   

 

 

菩提寺光世|2013.05.09

2013.5.9 投稿|