存在と時間

投稿日:2013年07月08日

 

人間の本質が現れるのは、生命がただ物語を残して去るときだけである。——
人間の本質というのは、—— 個人の特質や欠点の総計でなく、実に、その人の「正体(WHO)」のことである。

 

ハンナ・アーレント「人間の条件」より

 

誕生日のこと

 

6月、ステファノ・ベーメルのパートナーからステファノが去った家族のその後と近況を知らせるメールが届いた。メールには、私は働いている。彼のbeautiful workを停止させるわけにはいかない、とあった。靴のデザイナーである彼女は、Stefano Bemerの仕事に携わっている。
ステファノの誕生を祝うパーティーをサン・フレディアーノ広場で企画している。来て欲しい。皆も喜ぶから。メールはそうくくられていた。
ステファノの仕事/制作。
埃まじりの粉っぽい空気も重く湿った空気も、ここ数日続いた激しい雨に落とされ、梅雨の谷間の乾いた夜風が窓から吹き込んだ。仕事を終えて確認したメール画面の文字を私は眺めていた。おそらくこの「美しい仕事」は、イデアにつながる存在の現れである「美のポイエーシス(制作)」なのだろう。
ステファノの仕事を絶やさず、つなげていくことに、彼女の善(徳)があるのかもしれない。それは個人の枠にとどまらない意味を持っている。彼女はそう感じているのだろう。ステファノがこの世界のそこに在ったことが、仕事を通じ今もなおここに在る。彼はあの時点で世界の内の存在であったことで、この時点で、そしてさらに続く時点においてなお、この世界の内の存在であるだろう。

 

父のこと

 

父の記憶は徐々に失われてゆく。父と再会すればふたりで観ていた山中貞雄の「百萬両の壺」や伊藤大輔の「王将」は、父の入院以来私が語って聞かせるおはなしになった。はなしの途中で思いがけなく発した父の言葉、こはるまっとれや。小春、待っとれや、は王将の主人公、阪妻演じる坂田三吉の女房小春への台詞。こんなことを覚えていた父に周囲の皆は驚き、おかしさがこらえられなかった。父は、喜ぶ娘に多少なりとも嬉しくなって、記憶の糸をたぐり寄せ、自分が誰であるか、自分のまわりに生じた物語を了解(Verstehen)しようとしている。その場に居合わせている皆の間(Inter)に前と今を結ぶ像が現れる。

 

背中のこと

 

再会した父の、癌の再発で見る影もなく変貌した姿に、私は言葉を失ってしまい、肋骨に皮膚一枚が被さった背中をただ擦ると、父もまたかける言葉を探そうとはせず、ベッドに横たわったまま私の背中を擦っていた。夫も母も言葉なくそれを見ていた。
最後にステファノに会いにフィレンツェを訪れた時、あの時も私は言葉を失い、あいさつも名前を呼ぶこともできずに、彼の背中を擦った。そしてステファノもまた、いつものような大げさで陽気なゼスチャーも、私の名を呼ぶこともなく、黙って、私の背中を擦っていた。周囲の皆も言葉なく、それを見ていた。
そして今、言葉なく背中を擦り合うステファノと私を、私は記憶のなかに見ている。

 

生悦住さんと浅川マキが言ったこと

 

先週、PSF Records(モダーン ミュージック)の生悦住さんから、84年に放送された浅川マキのラジオ番組の録音をお借りした。生悦住さんが話して聞かせて下さる歌い手や演奏家は、生きていても死んでいても変わりなく現れる。阿部薫もロリータ順子(タコ)もついさっきまで居たかのように。
「ロリータ順子はすごく歌謡曲に詳しいんだ、驚くほどに」
家に帰ってお借りしたディスクをかけると、2010年ライブ先の名古屋のホテルでひとり逝った浅川マキの声が再生された。
「寺山修司さんは、生きていても、死んでいても、私のなかでは変わりはない」

 

誕生日のこと

 

それでいて私は、誕生日パーティーに誘ってくれたクリスティーナに断る返信をした。
フィレンツェには行けない。そこにステファノは居ないから。ステファノの居ない風景を私は未だ受け止めることができないから。
クリスティーナがそれに対して、そのことは誰よりも私が理解できる。でも私たちはどうすればいいだろう、と問いかけてきた。
私はそれに回答することができないままでいる。

 

数日前、Stefano Bemerの職方、久美子さんから広場での盛大な誕生日パーティーを知らせる写真が送信された。
今月で、48歳になったばかりのステファノが逝った知らせを受けて1年が経つ。
それから数ヶ月以上が過ぎた今年に入ってから、私の手元に靴が届いた。枯れた緑、オリーブ色のスウェードのローファー。丁寧で繊細な仕上がりの仕事から久美子さんによるものと尋ねてみると、ステファノと光世さんの足の特徴などを話し合い、指示を受けながらの作業だったと、その様子を知らせて下さった。

 

これが、ステファノ・ベーメルからの最後の誕生日プレゼントとなった。

80年代開店当初のモダーンミュージックの袋と「うなぎの寝床」店舗時のS・Bemerの袋
cameraworks by Takewaki
 
 
 

菩提寺光世|2013.07.08

2013.7.8 投稿|