私は飾らず
それ自体を提示する。
ロベール・ブレッソン「抵抗–死刑囚の手記より」
ブレッソン監督の「抵抗」を知ったのは、夫が学生だった頃に録画したVHSテープからだ。今年1月の上映がユーロスペースかオーディトリウム渋谷であったかはっきりしないのは、ベルイマン、ブレッソン、カサヴェテス、タビアーニ兄弟と目白押しで、3本立て続けに観る日が少なくなかったからだろう。
この映画には衣装に表出される人となりを読むことに、生死がかかる場面がある。
死刑囚の回想録に基づくこの映画の舞台は、ナチス・ドイツ軍に占領されたフランスの刑務所である。監禁された囚人は大量処刑された。主人公のフォンテーヌは抵抗運動の末、逮捕されこの刑務所に監禁された。いつ死刑宣告をうけるとも知れない独房生活で、彼は脱獄を決意し日々着々とその準備を進める。ピンで手錠を解き、スプーンはノミに、採光窓の枠は鉤形に曲げられ、衣服や毛布は三つ編み状に編んだ縄と形を変えて行く。描いた通りのモノへと変容させる無駄のない手の反復動作は、「抵抗」(56年)に続くブレッソン作品「スリ」(59年)の所作を連想させる。
モノ作りの為の繰り返しの作業に没頭するある日、もはや終わりと観念する時が到来する。銃殺刑を宣告されたのだ。
そして、宣告された直後にその少年は現れる。フォンテーヌの独房に放り込まれた薄汚れた少年は、敵が回した裏切り者か、それとも脱走の手助けとなる味方か。正体を見極めなければならない。フォンテーヌは死刑までの残りわずかな時間のなかで、計画的な厳格さと相反し、瞬時の判断に迫られる。
判断材料とするのはこの少年の衣装である。ズボンとゲートルはフランス軍のもの、寒くもない時期に少年はドイツ軍の虱にまみれた厚手の上着と、ご丁寧に帽子まで握っている。敵か味方か、殺すべきか生かすべきかの判断は、少年だけでなく自分の生死を分ける判断でもある。判断を誤れば命は、彼の手から創出された美しいモノとともに水泡に帰す。
決断に困難極める状況で、ついにファンテーヌが少年に話しかける。そして何の考えも理由もなかった彼を「信じ、不快感を覚えた」と心につぶやく。衣装が無知蒙昧以外の何も表すものでなかったからだ。
一方、役どころを越えて、衣装から女優の姿勢が垣間見えるようなこともある。
中年を過ぎたジャンヌ・モローのように。
40代のジャンヌ・モローが演じたベルトラン・ブリエ監督「バルスーズ」では、生活に追われ色艶から見放された中年女の現実を、その衣服と着こなしが表すが、同時にその年齢にふさわしい芯の強さを感じさせる。
最近の映画で富豪の未亡人を演じた80歳を越えたジャンヌ・モローが身につけていたのは、加齢とともに変化した体型に合ったクチュールのシャネルスーツの数々だった。衣服以上に目を引いたのは、かつてバロックという言葉が指した歪な真珠や模造宝石の装飾品である。老いた身体に重くぶら下がる歪んだ形の宝飾は、形の完成度や色艶等が標準となる「若さ」に、強烈な攻撃をかける力を有している。年齢に打ちのめされ、しかし決して年齢に傷つくことのない強靭な女優。彼女の衣装は、自負と威厳に満ちており、彼女が何者であるか衣装を通し知らしめていた。
生身の人で私が衣服で最も印象づけられた日本人は、仲正昌樹氏だった。初対面は彼の講義だったが、その服に一瞬戸惑った。ジャージのパンツ、ハイネックのシャツ、ペンギン柄のセーター。その衣服から何をどう読めばいいのか。ストリートスタイルの類いとは異質のジャージ姿(タフジャージなどでなく、いわゆるスエット)。遠方からの上京であるはずだから、会場だった新宿高層ビル街に建ち並ぶホテルの一室から室内着のまま来られたのか、としばらくは思っていた。月に一度の連続講義は気候が移る。しかし彼の衣服は変わらず、一貫していた。春先、ジャージのパンツ、ポロシャツの上の綿セーターは、四角く色落ちしている。西日が当たる部屋に畳んで置かれていたのかも知れない。初夏、ジャージのパンツ、ポロシャツ。
ジャージのパンツのポケットからは、ピンクの合成皮革ヘビ革の長財布が今にも落ちそうになっている。ポロシャツの無数の穴は、形態の解体過程にある。コム デ ギャルソンの穴は生地を編む段階で作成される。大学教授の無作為の穴と脱色は、それ以上に人を動揺させるインパクトがある気がする。なのに当人は、それを全く意に介さない。
彼は彼の著作そのものの人だった。
スタイルとは無関係に穴があいていると知りながら、平気で街なかを歩ける人を私は二人しか知らない。一人は靴職人時代のダニエル・デイ=ルイスで、一人は仲正昌樹氏である。ダニエルはそれを身につけることで誰もハリウッドスターであるとは気付かず、仲正氏は、遠くを歩いていてもすぐに彼だと分かる。
彼に服を選択する条件があるとすればそれは、
長距離移動時等いかなる状況であっても楽であり、
自宅洗濯が容易で、
ボタンや紐で煩うことなく、
財布や携帯入るポケットがあること、
執筆、読書中に服によって負荷がかからず効率を落とさない、
となるのであろうか。
彼の衣服は常に清潔が保たれている。穴はその過酷な洗濯によるものだろう。ピンクの財布は落としても誰かがすぐ気付く偶然的合理性を持っている。
JOSH・SIMS「MEN’S FASHON BIBLE」は、− 大衆文化における典型的なアイコンは、その時代が持つ特有の空気や雰囲気をその存在自体で体現し、メディアから時代を背負わされ、象徴化された人物を指している。 −という一文から始まる。英国有閑階級の洒落者ボー・ブランメルのスーツや、ウインザー公が労働階級や軍のアイテムを着こなしに取り入れたことで、それが紳士の証となって来た。
映画「抵抗」のフォンテーヌは、ズボンとゲートル以外はフランス軍のものでないと少年に指摘する。
「知るもんか」、強がる非力な少年の回答をフォンテーヌは静かな、同時に強い口調で制する。「知るべきだ」。
それに対し、仲正昌樹氏の服装は、権威や形式優位の立場に屈することを知らない強さを体現している。
風は思いのままにふく。
ヨハネ福音書 ニコデモへの返事
参考文献
MEN’S FASHION BIBLE, JOSH・SIMS 青幻舎
相対性コム デ ギャルソン論-〈インタビュー〉コム デ ギャルソンのモダニズム、アヴァンギャルディズム、少年性の批評的検証 千葉雅也 フィルムアート社
チープ・シック ミリネア+トロイ 片岡義男訳 草思社
菩提寺光世|2014.03.24