闇と光

投稿日:2014年05月21日
cameraworks by Takewaki      

 

はじめにロゴス(理)があった

ロゴス(理)は神だった

ロゴス(理)によって全てが生じた

ヨハネ福音書

 

                                           

マイケル・フランコ監督「After Lucia(邦題:父の秘密)」(2012年)、光を失った後を意味する題の映画パンフレットに宮台真司氏の寄稿文がある。『「全てが分かっているのにどうしようもない」という〈世の摂理〉を描く究極の対位法』と題され、
「本作の核心はラストの長回しにある。娘を性的に貶めた中学生の少年を、両手足を縛ってボートから海に突き落とした後、__苦悶の表情を浮かべた父親が、陸に向けて操舵する姿を、私たちは数分間見つめるであろう。」「父の顔が歪むのは、少年への怒りによるものでも、消えた娘への憐憫によるものでも、制御できない自分自身への慚愧の念によるものでもない。全てが分かっているのにどうしようもないという〈世の摂理〉によるものなのである。」とある。妻の死後、転校先でいじめの生け贄となり遂には海に呑まれ姿を消した娘への供犠なのか、人の力が及ぶことができない、どうしようもない海に父は少年を投じる。顔の歪みは、海(摂理)に投じられ呑み込まれたのが少年でなく、自分であることを表しているようにも見える。この場面を変容したオマージュともとれる先に、やはり舟を漕ぐ最終場面にテーマが集約される作品、ルキノ・ヴィスコンティ監督の「揺れる大地」(1948年)を思い起こす。同じくシチリア島を舞台にしたタヴィアーニ兄弟監督「カオス」(1984年)で少女が水夫に励まされ前方を見据えてオールを漕ぐラストシーンは、「敬意を表しているのではないか。」と柳澤一博氏は評している。

 

しかし「揺れる大地」「カオス」と「After Lucia」のラストシーンが異なるのは、前者2作が明日の生活に向かって海の外へ舟を漕ぎ出すのに対し、後者は少年を突き落とした後、ボートを急旋回させ昨日までの生活圏の内に戻ってしまうことだろう。

 

「揺れる大地」はアメリカから資本主義の大波が押し寄せる直前の、沿岸漁業に頼る地中海の島シチリアの話である。岬から突き出した岩はオデュセイアに登場し、太古から綿々とつながる人々の営みと土地が有する厳かさが、夜明けから日の入りに移るシークエンスの陰影に映される。遠くには行けない小舟だけの漁師の収獲を等価交換とはほど遠い安値で買いたたき絞って肥る者がいる一方で、反抗と言う言葉さえ知らない素朴な民の暮らしは、絶対的な家父長制の元で成り立ち、家長である老人たちは変化を好まない。主人公の青年が求婚する場面で「今日の金持ちは明日貧乏かも知れない、今日の貧乏は明日金持ちかも知れない」と言うが、希望に満ちた明日という言葉のなかに何も変化はおこりはしない日々が反復し続くことを誰もが知っている。どうにか自分の手で明日を切り開こうと組合から独立開業した青年に、自然の猛威は命以外のすべてを奪う。追い打ちをかける不幸の連続、命をつなぐ糧も底をついた窮乏の前には屈服しか残されていない。

 

この映画の話をステファノ・ベーメルと語り合ったのは、彼が小さな工房をたったひとりで開業していた頃のことだった。再び観たのは、先頃読み終えた清家竜介著「交換と主体化」が終始重なったからだ。

 

この著作で、家父長から首長へと組される臣民として小文字の主体は、貨幣という等価交換を可能にしたメディアの獲得によってその支配(呪縛)から解放される。しかし呪縛からの解放はさらなる呪縛を創出し、目に見えぬ虚構に絡みとられ、いつしか虚構は摂理になって行く。翻弄されながら自律的な大文字の主体は、小文字の主体へ変容させることによって、虚構の摂理に沈み同一化し漂流する。小文字の主体は、いつしか波に漂流することで同一化のなかに安息を覚える。しかしその安息も長くは続かず、さらなる大きな虚構の波に呑まれてしまう。
能動的なミメーシスによって獲得しうる大文字の主体が示唆され、荒ぶる海に漕ぎ出す一艘の舟を想起させた。

 

映画の最終場面は、海原に舟を漕ぎ出す他は生きる術がなかった青年の〈世の摂理〉がどうしようもなくともそこで生きることを選択した不屈の決意が、前方を見据える眼光と、オールを繰り出す腕の力強い反復動作に表現される。

 

「無視されて、忘れ去られるだけのことかもしれない。あるいは、別の人が私の代わりに次の一歩を踏み出して」(仲正昌樹著「貨幣空間」まえがき)
「この一冊を公共圏へと投げ入れる」(「交換と主体化」あとがき)

 

ロゴスの光が世界を闇にした。
かすかなあかりと陰りのゆらめきのなかでミメーシスの小舟が浮かんでいる。

 

ロゴスに命があった

ロゴスは人の光であった

光は闇(世界)のなかで輝き

闇は光に勝たなかった

ヨハネ福音書

 

 

                                                                                                                                                                                

参考文献:
交換と主体化 清家竜介 御茶の水書房
貨幣空間 仲正昌樹 世界書院

 

「戦争と性」明月堂書店 解説:宮台真司 rengoDMS 特別企画収録
rengoDMS 哲学塾 講師:仲正昌樹

 

 

菩提寺光世|2014.05.21

2014.5.21 投稿|