BiS解散そして大森靖子メジャーデビューをデリダで考えてみた

投稿日:2014年07月25日
cameraworks by Takewaki     

 

過剰な活動、代謝を繰り返したBiS(新生アイドル研究会)が「IDOL is DEAD」「WHO KiLLED IDOL」などのアルバムを残し、「BiSなりの武道館」というライブを横浜アリーナで行い、解散≒自らが発する熱で融解していった。
一応「アイドル」だったのだろう。しかし、そのアイドルという見え方としての境界、概念づけを不明瞭化し破壊してしまうことになった、たぶん。

 

その結果からか、ほぼ時を同じくして大森靖子がメジャーデビューする。

 

菩提寺伸人

 

 

歌舞伎町ロボットレストラン。
夜の人工照明で代償されるかのように賑わう街。
入場を躊躇させる程に明るい照明と無機質にきらびやかな内装の会場が、大森靖子のメジャープレデビューの舞台だった。
歌いながらいきなり飛び出し駆けてきた彼女は、敷き詰められたCDに足を滑らせ、転びそうになって転んだ。倒れた後も何事もなかったかのように、倒れたまま歌い続けていた。

 

「きゅるきゅる」「私は面白い絶対面白いたぶん」

 

歌い終わると途端に、へらっ、と笑った。
場にそぐわぬ不気味な笑いは、誰をも当惑させたであろう。それは、予定調和を壊してしまう「訛り」となって、歌の一部に融けている。

次に上方に設置されたステージの大森靖子は、寺山映画を思い出させた。「田園に死す」崖の上を風に煽られ女たちが行進する場面から、元となるベルイマン「第七の封印」死のダンスが浮かぶ。

 

しかし大森靖子で思い出したのは、表層的な配置関係からではない。その姿が恐山の若い三上寛と重なったからだ。
アコースティックギターを憑かれたように掻き鳴らす。無遠慮で扇情的に侵入する音。
女の笑い声が沸き立っては消える。亡霊のようにつかみどころがないその声は、あちらこちらで反復する。

ライブが終わった後も反復し続けていた。 

 
 

菩提寺光世

 
cameraworks by Takewaki     

 

その大森靖子のソロライブで、私は大友良英New Jazz Ensemble /Dreams (J.ゾーンのレーベルから2002年に出たアルバム)内のある曲が持つ、不気味さと激しさを想起した。戸川純が歌うPREACH、フューと戸川純が歌うHAHEN FUKEIである。そこからB.フォンテーヌ、スラップハッピー、カン、さらに曲が進むにつれシド・バレット、フレンチポップ風友川カズキ、タコの1stアルバムなどが取り留めもなく次々と混交、反復したり、止まったりしながら想起されていった。デリダのいう散種の現れを聴いていたのか、捉えていたのか、捉えられていたのか。

 

その後、横アリのBiSをセンター席でみた。プー・ルイをリーダーとしてアイドル歌謡をノンストップで展開、歌いまくりのプー・ルイの歌唱力は素敵だったが、解散ライブ前にBARFOUT!誌上でBiSの葬儀は既に終わっていた。このライブで、私にとってのBiSが実体を持って濃く現れたのは「IDOL」でファーストサマーウイカの目つきが変わり、プー・ルイにからみ、亡霊のように消えかけていたメンバー達の痕跡が顕在化したと感じた時だった。まさにその直後カミヤサキが当日最初で最後のダイブをし、ヒラノノゾミの低音と叫び、テンテンコの叫びがもつれ合い、少なくともセンター席の聴衆は集中的聴取に入ったと感じさせた。後のパプリカでもプー・ルイとヒラノノゾミが歌でからんでからファルセットを経て絞り出されハスキーになっていく声声のところで集中的聴取が再現されたようだった。
ところで渡辺淳之介はThe KLF(The JAMs)にも傾倒しているのか。

 

「IDOL」という曲は後期メンバー編成後にライブで開花したと私は考えている。アイドル歌謡の臨界点の在り方の一つとして、中森明菜セルフプロデュースの「不思議」がある。1986年発売当時、声が聴こえない不良品と、返品の問い合せが相次いだという伝説を持つアルバムだ。それとは異なる仕方で「IDOL」は境界を越えたのか。プー・ルイの歌唱に、ファーストサマーウイカのドライヴ感と破壊力を備えた歌、カミヤサキの状況を察知し素早くアクションするセンス、ヒラノノゾミのJAZZBiS階段でもみられた低音部への感度とペースメーカーとしての役割、テンテンコの80年代サブカルへの造詣をベースとしたセンスなどがあった上で、それらが相互に聴衆も含め作用しあい、もっと言えばそれに否定的な言説、リアクションをも含め混交したのではなかろうか。もちろんレコード会社等、関係者、元メンバーも相互作用して。なかでもアヴァンギャルドから多くの散種を受けたであろう非常階段からの散種、作用は相当なものがあったと推測される。そもそもはBiS自体がデモーニッシュなものを呼び込んだのだが。コショージメグミの魅力については、WWWのBiS階段でちょっと感じてBiSなりのオールナイトニッポンのDVDでさらに感じた。魅力がわからなところが良いところかもしれない。特にこういう書き方でも許されそうなところが良い。最後に個人的にはMy Ixxxでナカヤマユキコのくせのある声とプー・ルイのからみを聴きたかった。
さてデリダの憑在論でBiS現象は語れるか。

 

菩提寺伸人

 

 

散種と憑在論について

 ジャック・デリダは、言語や言語経験について徹底的に思索した思想家であった。良く知られているように、デリダは、脱構築という哲学的技法によって、”パロール(発話)の主体”を解体(脱構築)することで、西欧哲学の伝統の中軸であった形而上学的主体性を記号の運動の戯れの中に融解させた。
 デリダは、記号の反復可能性に着目し、記号の反復可能性から、意味の一義性や多義性を越え、無数の意味が”散種”されることを指摘した。この記号の反復可能性と散種は、人間の創作活動の全域に及ぶものである。例えば、文学の表現だけでなく、音符やメロディーなどの音楽表現、絵画やデザインあるいは建築などの表現もまた記号の反復可能性によって条件づけられ、混交された様々な表現を”散種”してきた。
 言語経験を条件づける言語記号の運動は、起源(オリジナル)もなく、その反復可能性によって無数の意味や表現を”散種”していく。その運動は、自閉し、純粋であろうとすることを許すものではない。
 現前性の形而上学や存在論を脱構築したデリダは、存在論にかえて”憑在論(hantlogie)”(もしくは”幽在論”)を提唱する。
 デリダから見れば、存在とはたんに現前や非現前の二者択一で論じられるものではなく、無数の不純で異質な痕跡によってとり憑かれ、それらに感染されている。いわばハイデガーの言う存在の住処としての言語は、抹消された無数の亡霊的な記号の運動に汚染され、常にそして既にそれらに取り憑かれ、脅かされている。存在を純化しようとする試みは、決して抹消することのできない亡霊的な他者によって苛まれる運命にある。

 

清家竜介

 

参考文献
ジャック・デリダ 散種 藤本一勇/立花史/郷原佳以 訳 法政大学出版局
ジャック・デリダ マルクスの亡霊たち 増田一夫 訳 藤原書店
TWアドルノ 不協和音-管理社会における音楽 平凡社ライブラリー
渡辺裕 聴衆の誕生 ポスト・モダン時代の音楽文化 中央文庫
Mシェーファー サウンド・エデュケーション 春秋社 
毛利嘉孝 ポピュラー音楽と資本主義 せりか書房
ビル・ドラモンド 45ザ・KLF伝 萩原麻理 訳 ele-king books
細川周平 歌謡曲からJ-POPへ 事典世界音楽の本 岩波書店 
戸川純 アーントサリー1st CDのライナー 
ロマン優光 BiSに関する個人的な2、3の出来事:ロマン優光連載9 ブッチNEWS
プー・ルイ IDOL AND READ シンコーミュージック

rengoDMS哲学塾(デリダ)2014年11月 ~ 2015年5月(講師:仲正昌樹)

 

 

清家竜介 菩提寺伸人 菩提寺光世|2014.07.25

2014.7.25 投稿|