Jetzt komme, Feuer!
今だ 来い、 火よ!
F. ヘルダーリン
深夜の到着ロビー、税関検査の「むこう側」の自動扉が開き、視線があった。安堵と、堪え切れないほどの嬉しさが交差する笑顔で、ステファノ・ベーメルが両腕を広げている。
「こちら側」からのきりきざまれたイメージが、よみがえっては静かに消えてゆく。
ミラノからの乗り換え便は大幅に遅れていた。アナウンスが流れる前の4音ほどの上昇してゆく短いメロディーがスピーカーからなる度に、注意を傾ければ、広い空港空間に反響する声が伝える繰り返しの内容。
「アリタリア便は遅延します」
声も出さずに隣の夫と目を合わせると、もう待っているはずはない、と彼はいつも通り淡々としている。予定出発時刻は、ゆうに3時間は超えていた。私は相も変わらず、落胆と焦りと心配、繰り返しの気持ち。到着した深夜のフィレンツェの空港は、温もった日中の気温はすっかり冷えて、蛍光灯に白く照らされ、荷物を運び出す回転台の音が規則的に鳴っていた。
深夜の到着ロビーから20年近く経ったこの日、映画館の前方席で上映映画のスクリーンに自分のイメージを重ねたのは、それが修道院のドキュメンタリーであったことと無縁ではないだろう。「大いなる沈黙へーグランド・シャルトルーズ修道院」、グレーニング監督は1984年修道院に撮影を申し込み、その16年後の2000年に許可を得、ただひとりで撮影、録音、編集機材を携え、この修道院で映画製作に臨んだ。
「私は6ヶ月近くをグランド・シャルトルーズ修道院で過ごした。修道院の一員として、決められた日々の務めをこなし、他の修道士と同じように独房で生活をした。この、隔絶とコミュニティーとの絶妙なバランスの中で、その一員となったのだ」〈ディレクターズノート〉
1084年に設立されたカルトジオ修道会の、音楽も照明もナレーションもないドキュメンタリー映画は、映画のみならず、典型的な日常生活においても、厳格な戒律のもと沈黙を保ち続け、必要最低限の意思の疎通は投書箱で交わされるメッセージによる。触れることはおろか、話し言葉も日常的に交わすことがない。禁欲と自己制御に貫かれた思惟と神に捧げられた日々において、祈りの言葉や聖歌は、一般とは全く異なる意味を有するだろう。それは、ジョン・ケージの沈黙の曲「4分33秒」時の偶発的な咳や、偶発をも企図された演奏しない演奏と同様に。
青い作業着に白いエプロンの修道士が午前の日が射し込む窓ぎわで、包丁を入れる溢れんばかりの水分を湛えるセロリのデジタル映像のみずみずしい透明感は、フェルメールの絵画でミルク壺を傾け注ぐ女の姿から受ける厳かさ、食物の生命の恩恵を感じる。また、背中を撫でさすり、クリームを塗られる老修道士が若い修道士に身を委ねる姿は、見ることをためらわせるほど、触れ合うことの悦びを感じさせる。極めて制限されたコミュニケーションと沈黙のなかで、祈るものに神の言葉は言霊を、景色は恩恵を有し、コミュニティーへの帰属は揺るぎないものとなるだろう。神への絶対帰依がコミュニティーの核心である。
「静けさ ー その中で主が
我らの内に語る声を聞け」
(字幕)「大いなる沈黙へ」
映画はストーブの薪の炎のゆらめきから始まる。修道院の鐘の音の一定のリズムとともに、修道院の小窓の三角屋根瓦は、さらに建物全体の三角屋根へ、さらに別棟へ、さらに人里離れたアルプス山間部の景観へ、と、頑丈な石と岩の連なりを映し出す。鐘の音が映像と同時に呼応、動作し、ひとつはパターンとなり全体を形成する。
そしてまた炎がゆらめく。
「主の前で大風が起こり
山を裂き 岩を砕いたが
主は おられなかった
風の後 地震が起こったが
主は おられなかった
地震の後 火が起こったが
主は おられなかった
火の後 静かなやさしい
さざめきがあった」
列王記上 19.11.12 (字幕)「大いなる沈黙」
字幕と炎の揺らめきを眺めながら、デリダの「精神について ハイデッガーと問い」が気になっている。デリダはハイデッガーの精神についての記述を翻訳する。
真っ黒なスクリーンに字幕だけが表れる。
真っ黒なスクリーンに字幕だけが表れる。
スクリーンに炎が揺らめく。
炎は、原初へと誘惑する欲望を戒め、律し、罪を焼きつくし、魂を解放し、
また、ホロコーストの焼却炉で、
そしてまた、高天原へと誘い燃えさかる。
沈黙のなか、めらめらと揺らめき鳴り響く炎。
アルプス山間の厳冬に、遠くはない春の予兆だろうか。修道院の窓枠の氷柱から規則的な間隔で滴る雫。雪が溶けて覗いた修道院の旧建造物らしき屋根の木造瓦は鱗のよう葺かれている。これを鱗の表象と見るならば、それはキリストを表す魚の鱗か、闇のエネルギーを象徴するドラゴンの鱗か、そのどちらとも見て取れる屋根葺が溶けた雪から姿を現している。
ステファノは、宗教にも信仰にも懐疑的な発言を、冗談めかし、おどけた口調ですることがあった。結婚式を挙げることも、その誓いを立てることさえ頑なに拒否し、その姿勢を崩さない私の夫に、彼は共感した。会話の多くは、両家族が食卓を囲む席のことで、その料理や買い出しは、状況に応じ役割は変わった。食品買い出しの買い物カートに乗っていた彼らの息子は、一人から二人になり、買い物袋の全てを引き受けてくれる青年になった。
ある日、ステファノから大きな手術を受けると電話があり、私はきれぎれに言葉をつないだ。
「その時間、祈るから」
小さな沈黙の後、聞こえた彼の声は透明だった。
「お願いする。ありがとう」
ステファノから次の電話はなかった。
多摩美術大学美術館 特別ギャラリートーク
「祈りの生命デザイン-生き物たちのカタチ-」(講師:鶴岡真弓)