生きるためのダンディズム その2 山口千尋 プレリュード

投稿日:2015年02月11日

客の顔が見えない靴はない

 

cameraworks by Takewaki

 

前日からの雨は翌日午後は上がると言う予報だったが、午前中いっぱいは60%の降水確率だった。持参なさったら、と言ったのは、二つ理由があった。ロースティッド・ハニーと呼ばれる色のメダリオンもないホールカットの真新しい靴に雨染みついては大変だと思ったためと、屋内で履き替えても作り手にその姿と具合を見て頂きたかったからだ。

 

洋服や着物、靴など身につけるものの制作者は、ある水準以上の腕を持つ者であれば、仕上がりと引き渡しだけでは仕事の達成感までに到達しないように見受ける。依頼者が身につけ、その反応と姿を確かめ初めて、得ることができる気持ちがあるように思う。たとえ10年以上経った後にもしげしげと観察し続ける制作者が少なくないような気がする。

制作者には依頼者の姿を観察すること抜きに納得できない度合いがあり、制作者の納得の度合いが、依頼者に測りし得ない作品の完成度を確認する尺度を与える。

金銭のやりとり(交換)だけにはおさまり切らない、やりとり(交流)のある商品が、世の中にはある。

 

cameraworks by Takewaki

 

昨日からの雨は上がり、彼はネイビーのGloverallのダッフルコートに白いツイールのパンツ、その靴は持参せずに履いて現れた。重い荷物も安心して任せられるしっかりした骨格の持ち主である彼に、細身でエレガントなホールカットにノルウェージャン・ウェルテッドを施し、コバを強調し重心が低くより男性的になったロースティッド・ハニーの靴は、ダッフルコートとの色の相性のみならず、その重量感にも負けることなく、ニットタイをした彼のスタイルにしっくり合っていた。カメラマンはヘリボーンのツイールのジャケットに年季の入ったゴローの登山靴、そして彼もニットタイをしていた。夫は高校生の頃から着ている馴染みのオーストリア製のローデンコート。そのコートは既製の品ではあるけれど、夫の雰囲気をよく表してくれて、他のどの上質な素材のものよりも私の気に入りのコートである。

夫はグレーのローデンコートに、沈んだエンジ色のウイングチップ・フルブローグのビスポーク靴を赤い平紐で結んでいる。誰もがそれぞれのスタイルのなかで、先方に対する礼を表そうとしている。銀座で落ち合った私たちは、多少キリッとした面持ちで店に向かった。

ギルド オブ クラフツ代表、山口千尋さんを取材する日曜日の朝だった。

取材といっても一般的な取材と、私たちのそれは趣をかなり異にすることは、インタビューの受け手が最も感じておられることだろう。聞き手が記事執筆者のみならず、夫や私を含めた座談のような取材になってしまうのだから。山口千尋さんは、「こんな取材(内容)は初めて」と喜んで下さった。

 

取材内容は「生きるためのダンディズム その2」本編に譲るとして、ここでは私が山口さんに直に伺いたかった質問とお伝えした謝意にとどめたい。

山口千尋さんのお名前を知ったのは、ギルド オブ クラフツ設立より前だった。設立数年後に婦人靴がスタートし、注文に至ったのはギルド オブ クラフツ以外に*ハンドソーン・ウェルテッドの婦人靴を展開する工房が日本のみならずヨーロッパでもあまり見かけなかったからだ。注文靴でもセメント製法の華奢なヒールやブレイク製法の婦人靴、もしくは紳士靴のモデルで注文することはもちろんできた。しかしジョーゼットのような柔らかな薄手の生地と男性的な本格靴を合わせるのは難しい。仕事をする場面でしっかりと支えてくれながらも、女性的なラインを持った靴が欲しいと思っていた頃のことだった。そのような経緯で求めた靴であったが、このところのギルド オブ クラフツの発展には目が離せない。おそらくヨーロッパの靴文化の伝統、その手技の継承から始まったであろう過程のなかで、切磋琢磨されたのだろう。

 

そして今、さらに一歩先に進まれた創作の秘密を知りたかった。

 

プログレッシブであることを可能にした理由に、私たちが設計を進めることと重なる何かがあるに違いないと感じたからだ。
小規模な目が行き届く範囲で、ひとりではない複数であることに、重要な何かがあるのだろう。
ひとりひとりの作業が全体の部分(細部)であったとしても、それは全体から切り離されず、さらに言えば、違いがあるからこそ相互に影響、作用し合いバランスのとれたひとつへと統合する。中心軸を持ちながら担い合い、結集する仕事の契機は、私たちのそれと変わることはない。
そして予想通りの回答を山口千尋さんは返して下さった。
「私たちに、お客さまの顔が見えない靴はありません」

 

cameraworks by Takewaki

 

それからあらためて私は山口千尋さんに、以前私たちの会社の50周年記念祝賀会に間に合わせるため、皆さんが徹夜仕事で、予定より早く私の靴を仕上げて下さった御礼を申し上げた。私は靴を身につけることを通し、仕上げて下さった皆さんのホスピタリティーに励まされるように緊張の場面を乗り越えられた。

そして最後に、微調整の後に作って頂いた同じモデルの色違いのブーツを見たステファノ・ベーメルが、その出来具合いから言ったエピソードをお伝えした。「良い靴だな。フランスでビスポークしたブーツか?」彼は私にそう訊ねたのだ。山口さんの顔がほころび、「スタッフに必ず伝えます」と、静かな声が安堵のため息とともに広がった。

 

取材を終え店を出る時、雨が降り始めた。慌てて山口さんが呼び止めてくださり、銀座店の池田さんに防水スプレーが手渡された。まずはステファノが褒めた私のブーツに、最後にロースティッド・ハニーのホールカットにスプレーをして下さった。

 

店を出てから照れくさそうな声がした。ホールカット靴の声の主は、雨も全く気にしないゴローの靴を特大のLLビーンのトートバッグに忍ばせていた。荷物から四足分のシューツリーが出て来た。軽量化したギルドの革製のシューツリーはともかく、あとの一組、重量感があるパーフェクタ製が出現し、皆が笑った。
私たちはそれぞれの帰路につき、あるひとつのそれぞれの仕事を進める。
冷たい雨の日曜午後の出来事だった。

 

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* ハンドソーン式は、アッパーとウェルトとインソールとが直接すくい縫い(現代でも機械化は不可能)で、縫い付けられている。

グッドイヤー式は、アッパーとリブがミシンでつまみ縫いされており、リブはインソールに接着されている。

注釈: 山口千尋

 

 

菩提寺光世|2015.02.11

2015.2.11 投稿|