生きるためのダンディズム その2 山口千尋 part2

投稿日:2015年03月19日

Dark・Magus−−−テクネーとアートの間で
GUILD of crafts代表 山口千尋氏インタヴュー(part2)

 

cameraworks by Takewaki

 

 

——–最近のギルドのモデルは、イタリアン、フレンチ、イングリッシュなどにこだわることないオリジナリティ溢れる靴作りで、非常に面白いと思います。 
 私はマイルス・デイビスが好きなのですが、特に70年代のマイルスは、ジャンルを超えた「アヴァンギャルドな構え」を持っていたと思っています。一方でマイルス本人はフリージャズに対しては否定的な言説を繰り返していました。
 それもあってか当時は極一部の人達からしか評価、理解を得られなかったという印象があります。ところが今では革新的な音楽史に残る時期とされ、発掘音源もどんどん発表されています。

 

デザインやオリジナリティに関しては、日本画の師が述べていた「遊びがなければ駄目だ」という教えが本質を突いていると思います。
伝統を軽く扱ってはいけません。
けれども先輩達が作ったものを踏襲して頑固に守っているだけでは、新しいものは生まれてきません。

 

「新しさを生み出すためには、遊びの要素が不可欠です。」

 

マイルスについて何かを言うことはできませんが、伝統を重んじるクラシックと新しさを追求したジャズとの違いは、”遊び”の要素をどう捉えるかにあるのではないでしょうか。

 

 山口氏は、各国が持つ固定的なイメージやスタイルでジャンル分けして、靴作りをしてきたわけではない。
 例えば、色々な継ぎ接ぎをすれば立体化が容易でデザインしやすいわけだが、ギルドの接ぎ目のないホールカットの靴のデザインは、”削除していくこと”を究極にまでもっていこうとして生まれることになった。この “削除”することも山口氏なりの”遊び”なのだろう。
 

 この靴は、接ぎ目のある靴のようにみえるが、ホールカットだ。靴の知識がある人が見ても、パーツが交差しているので、この靴がどういう平面に戻るかまずわからないという。
 足の動きに合わせたり、削除することを追求したり、要望に合わせ女性の靴のヒールを高くするなど、アプローチや”遊び”の入れ方で、革の素材の選定からデザインにいたるまで融通無碍に変化していく。

 

「そういうチャレンジが、職人的な血を騒がせるし、靴の探求も深めていく、そのうえとても愉しいのです。」

 

 靴を作ってから染色するのと、予め紙型の段階から色の塗り分けを考えて作るのとでは、仕上がりは異なる。ギルドで行う革の染色などは、後で染めることのできる素材を作ってくれた職人の仕事があって成立する。靴の形態には普遍的形式が力学的構造の問題をともなってあるが、山口氏がいうような靴作りのバリエーションでは、探求の仕方次第で、無限に広がり深まっていくようだ。
 ギルドの靴作りのスタイルは、伝統を重んじながらも、それに縛られることのない”遊び/自由”の要素を兼ね備えた一種のアヴァンギャルドである。

 

——–敢えて”ギルドらしさ”をいうとするならば、靴を作る様々な工程で”遊び”の要素を加えていくことにあると考えてよいのでしょうか。

cameraworks by Takewaki       

 

「意図的に遊びを加えるのではなく、遊びを持って色々なものを見ていくという角度です。」

 

 ストイックに仕事に打ち込むことも大切ですが、私達のオリジナルとして一つのものを完成させるためには、必ず少しばかりの”大らかな気持ち”や “ゆとり”を持たなければなりませんし、そこに”遊べる気持ち”もなければなりません。自分や人に向かって刃物を向けるような角度でつくるのは、身につける物として失格ですね。

 

“大らかな気持ち”や “ゆとり”というが、恐らく山口氏のいう”遊び”は、制作者と制作物との間にある中間領域でおこなわれている。山口氏のいう”遊び”を可能とする眼差しは、観客の目で自分を見るという世阿弥の「裏見の見」や、レヴィ=ストロースがいう、生者の住まう共同体と共同体の中間領域に立つ民族学者が必要とする「死者の眼差し」に近いものだろう。

 

「ものにもよりますが、厳しさのなかから良いものも生まれてきます。」
 私達が靴作りで使う道具は、厳しい気持ちで鋼に真摯に向き合った素晴らしいものです。そこは、厳しい仕事だなと思います。そこには”遊び”があるようには思えません。
 私の父は石工でしたが、厳しい世界です。朝も早いし、汗だくになるし、私自身は職人にはなれないと思っていました。

 

「僕がやろうとしたことは職人的なものではなく、絵を画くようにもし石をさわらしてもらえるのだったら、私の生きる道は石のなかにあったのかも知れません。」

 

子供の頃から、職人は滅茶苦茶上手で、目をつぶってつくれる人が職人だと思っていました。そこまでストイックになりたくないし、アーティストと呼ばれるような高尚なものとも違う。

 

「私自身の仕事の位置づけは、はっきりしていません。シューデザイナーなのか靴職人なのか、アーティストと呼ばれることもあるが、なんだかピンと来ませんね。」

 

けれどもギルドの中でやるべきことのは形作られていて、好き放題皆がやっているわけではありません(笑)。

cameraworks by Takewaki       

 

靴の機械化は、ミシンの発明を契機に、あくまでも「手作り靴に近いものを、機械で出来ないか」という着想から始まった。
何十とある工程に驚くべき工夫と繊細な技巧を凝らしたハンドソーンのビスポークの靴こそが本来の紳士靴である。
しかし現在では、ハンドソーンと機械製(グッドイヤー)が主客逆転してしまっていると以前、山口氏は、雑誌のインタヴューで語っていた。

 

——–連合設計社も複数の設計士がいて、ある一人の作家の名前を出す会社ではない。それぞれの特質や能力を持った設計士が、ある中心軸をもちながら関わって設計を行っています。ギルドというチームの中心にいる山口さんが皆さんを引っ張っていかれて、そこからギルドのスタイルが生まれてきているのでしょうね。

 

建築におけるポストモダンは、装飾的要素をつけ加えることに主眼を置いていた。それは装飾的要素を排し、機能性・合理性を追求したモダニズム建築に対する一つのアンチテーゼであった。

 

今のギルドの靴作りは、装飾的な要素を後からつけ加える浮遊したポストモダンの手法ではない。
ギルドの手法は、伝統が培ってきた合理性や機能性の内部に入り込み、対象に”遊び”の要素を注ぎ込む。
それはファッションで語られる単なる形式の破壊でもないし、散種されてきた伝統を断ち切ることでもない。ギルドの靴作りにおける”遊び”は、それまでの伝統を脱構築する新たな美を生み出していく。
ギルドの靴作りは、伝統を再活性化するとともに、技術と芸術が不可分に結びついていた古代ギリシアのテクネーという、本来のアートの営みにほかなるまい。

 

そのような作品を踏みしめる悦び。
私の跳躍は、決して法外なものでなく、これまでにない着地点を与えてくれた。

 

 

 

 

参考文献
「山口氏インタヴュー」『ビッグマンスペシャルMen’s EX特別編集 最高級靴読本』2002年、世界文化社、106頁〜111頁。
平井玄「黒い呪術師・マイルス」『千のムジカ』青土社、2008年、199頁〜204頁。
ジャック・デリダ『絵葉書Ⅰ』若森 栄樹、大西 雅一郎訳、水声社、2007年。
Kevin Whitehead,ライナーノート,Miles Davis “PANGEA” C2K 46115.

 

廉/菩提寺|2015.03.19

2015.3.19 投稿|