生きるためのダンディズム その3 IKIJI

投稿日:2015年04月24日

散種される和のテイスト–風を切るかのように

cameraworks by Takewaki

      

 

何やらユニークな商品を作っているIKIJIという新興のブランドがあるとB氏に聞いて、ショップのある両国に足を伸ばしてみた。
東京暮らしも随分長くなってきたが、両国周辺を訪れたことはほんの数度しかない。
見慣れぬ路地を歩くことは嫌いではないので、散歩がてらショップに向かった。良い日よりなのもあって、軽快な気分のまますぐに目的地に着いた。

 

こぢんまりしてはいるが、旧家の蔵を思わせる、奥に座敷を備えた明るく清潔感のある店構えである。
あらかじめIKIJIのオンラインショップをチェックして数点ほど気になっていた商品があったので物色してみた。
最初の狙いは、アルニスや昔のイッセイミヤケメンの縦ポケットを連想させる鯉口のシャツだ。
早速、試着させてもらおうと店員さんに声をかけると「テキヤモデルですね」といわれ、少々面食らった(注)。
言葉の力というものは恐ろしいもので、改めてその商品を眺めてみると、ソローニュの森の芳香ではなく、神社の境内や参道でテキヤの兄さんが汗だくで焼きイカや焼きそばを作っている雰囲気が醸しだされていた。
実物は、縫製もしっかりした厚手のコットンの生地で、丈夫で使い倒し甲斐がありそうなキリッとした逸品であった。
イッセイミヤケはともかく、ジャケットの名品”森の番人(フォレスティエール)”がもともと和服をモチーフとしていたこともあり、アルニスと”テキヤモデル”に類縁性があるのは当然のことかもしれない。

 

いざ試着してみると前のボタンが留まらない。
鍛え上げて鳩胸でもある私の体に合いそうなサイズは、すでに売り切れで在庫がなかった。
とても残念であった。

 

このところ良い商品との出会いは、”一期一会”だと感じることが多い。
伝統のあるブランドの定番や名品とよばれる製品は、モデルチェンジをせずに黙々と毎年生産されていることが多いので、買い逃すことはあまりない。
それ以外のアパレル系の商品との出会いは、ほんの一瞬のように思える。
モードの推進力に支えられてきたアパレル業界では、ずいぶん以前から多くの商品が多品種少量生産でつくられてきた。
日々存在感を増しているファストファッションのブランドも大量生産の商品ではあるが、多品種を揃え、頻繁にデザインを変更している。
それゆえハイファッションであろうがファストファッションであっても既成品は、一度買い時を逃すと商品の入手が困難になってしまう。

 

IKIJIが参加するPitti Uomoつながりで話すと、新宿伊勢丹の昨年のサマーセール初日に靴売り場のハイエンドコーナーを覗いてみた。
その際、ステファノ・べーメルが存命だった頃に作られたという既成品のライトブラウンのフルブローグが並んでいた。
セールとはいえステファノ・べーメルだ。
その値段ゆえ、購入するかどうかしばし逡巡してしまった。
丁度お腹が空いていたのもあって、近場にある行きつけの”ガンジー”で昼飯を食べながら呼吸を整えようと、私は、いったん売り場を離れた。

 

気になっていたべーメルの精神性を実物を履いて感じてみたかったし、ステファノの生前の作品は既成品であっても入手困難だからと、思い切って購入することを決心し、食事を済ませて直ぐに売り場に戻った。
が、目の前で紳士が、私の目当てにしていた靴を試着していて、そのまま購入していった。
“一期一会”は、人間同士の出会いだけにあるのではない。

cameraworks by Takewaki

    

 

IKIJIは、墨田区にある幾つかの老舗の繊維・服飾メーカーが連携して作ったブランドだ。
墨田区は、江戸時代から繊維・服飾業の盛んな地域である。その伝統は明治以降も続き、現在でも数多くの中小企業が存在している。
変動為替相場以前に労働力の価値が相対的に低かった事もあって、かつての日本の繊維・服飾産業は、欧米向けの製品を”MADE IN JAPAN”あるいは”MADE IN OCCUPIED JAPAN”として輸出してきた。
そのクオリティの高さは、もちろん墨田区だけでなく、日本各地で今もなお引き継がれている。
例えば、岡山の倉敷市の児島や井原市などのデニム・ジーンズなどは若者の間でも有名だ。
ヘビーozのデニム・ジーンズは、本場であるアメリカでもなかなか作ることができないほどのレベルに達している。
それゆえ現在の児島や井原では、欧米のハイファッションブランドの高額なデニムの商品をOEM生産するほどになっている。
もともとアメリカの炭鉱夫のために作られた丈夫で安価な作業着であったものが、今やそれなりに値の張る商品だ。

 

日本のモノ作りには定評があるとはいえ、1985年のプラザ合意以降の円高の影響で、繊維・服飾業を含む製造業の多くが、中国や東南アジアなどの安価な人件費を求めて海外に工場を移転していった。
産業の空洞化は深化してはいるが、先に述べたデニム・ジーンズでも実証されているように、現在でも海外のハイファッションブランドの品質の高さを支える力の一つは、日本各地に残る職人文化の伝統を引き継いできた匠の技にほかならない。
墨田区にもOEM生産を続けながら伝統を継承してきた匠たちが存在しているのだ。

 

IKIJIのポロシャツは、どうみてもあのフランスやアメリカの一流ブランドの名品に負けない作りであることはすぐに分かった。
品質が良いだけでなく、それに加えて”和”のテイストをはっきりと押し出しているところが魅力的だ。
そのテイストは、古来からの伝統に固執した窮屈なものではない。
海外の一流ブランドのOEM生産や技術提携を経た、現代的な”洋化”を経た上での”和”への回帰である。
いわばIKIJIの製品は、人間の技術が本来的にもっている、散種されてきた”ハイブリッディティ(混交性)”を表現するものだ。
そのハイブリッディティは、”北斎の浮世絵”をモチーフにしたポロシャツのデザインや”南天””面の皮梅””二引き”などの洒落の効いた柄にも現れている。

 

IKIJIの “和テイスト”は、いま人口に膾炙している”ヤンキー”とその底流にある”精神の鋭角性”において通じているように思える。
とはいえIKIJIのソフィストケートされたそのデザインでは、ヤンキーのもう一つの特徴であるデコレーティブかつ土俗的な”過剰性”が極力抑えられている。それは、あくまで江戸の下町の洗練された”粋”を表現するかのようだ。
「意気を受け継いだ粋な男達によるオリジナルブランド」の触れ込みは、伊達じゃなかった。

 

私は、アウトサイダー・アートへと限界突破しかねない”ヤンキー的な精神の過剰性”に強い共感を覚える者である。精神においては過剰なヤンキー的要素を多分に持つ私ではあるが、自らのファッションにおいては、ブランメルが勧めるようにあまり目立ちすぎないようにしておきたい。
その意味でIKIJIの精神性とデザインは、私にとって非常に心地よい。

 

その後”テキヤモデル”以外の数点を試着してみた。
体にタイトフィットした、鋭角的なラペルとポケットがついた、折り紙のようなニット生地の”ミラノリブ・ジャケット”が最もしっくりきた。
一期一会かも知れぬと思い、その風を切るかのようなシャープで明るいグレーのニットジャケットと、縁起の良さそうなTシャツを数点ほど購入した。

 

店を出た私は、行きとは違う道で偶然みつけた”亀戸ぎょうざ”で舌鼓を打った。
久しぶりに訪れた両国は、とても奥深く魅力的な街であった。

 

注)テキヤモデルは、IKIJIのオンラインショップでは「祭りシャツ」と記載されている。

 

参考文献
島地勝彦『お洒落極道』小学館、2014年。
武田晴人『高度経済成長–シリーズ日本近現代史⑧』岩波書店、2008年。
鞆の津ミュージアム監修『ヤンキー人類学–突破者たちの「アート」と表現』フィルムアート社、2014年。

 

 

廉|2015.04.24

2015.4.24 投稿|