小さなことの大きなこと
はじまりは少年時代のことだった。
映画を観ると必ず感想を1、2行のメモに書きとめ、映画雑誌「スクリーン」に掲載された写真が気に入ったらスクラップし続けていたという。この素直に「ただ好きだった」を手放さず、今日に至るまで持ち続けられたことが、世界に大きく展開していく源となったのではなかろうか。アラカン(嵐寛寿郎)の「鞍馬天狗」、片岡千恵蔵の侍映画といった娯楽ものに「アンダルシアの犬」のようなアート映画がセットになって上映された故郷九州の小さな町、「それが幸せだった」と鋤田さんは回想された。
“アマチュアというのは、ラテン語のアマトール(愛する)、本当の意味の愛好者です。”(「世界」E・W・サイード/大江健三郎 対談1995年8月号より)
鋤田さんはプロ中のプロでありながら、サイードの言葉通りのアマチュアの精神を持続する力を有している方と言えるだろう。
その少年の幸せな日常を守り続けたのが母だった。
鋤田さんにとってたった一枚(オンリーワン)は、初めて買ってもらったカメラで故郷の祭りの日に撮影した母の写真だという。
キリリと粋な女性の襟足が印象的なアート写真と勘違いし、「あれは、襟足の曲線、被っている笠、浴衣の縞模様が、内田吐夢『血槍富士』の屋根瓦、窓の格子に通じるものだと思っていました」と言った私に、「内田吐夢がでてきましたね」と合いの手を打つような鋤田さんの回答。
映画のお陰で西洋問わず様式美に憧れがあったとおっしゃってはくださったけれど、あの写真の核心は「母」に対する息子のある種の誇らしさにちがいないだろう。
戦争で父をなくした決して裕福な時代ではなかった少年の日常の画(イメージ)に、見知らぬ時代と土地でありながら私自身の記憶に触れる錯覚を持ったのは、同じように母の姿を想い出に持つ私であるからかもしれない。
「笠を被って顔が見えない姿だから、誰の母にもなるでしょう。普遍的な母のイメージと言うか」、そのようにご説明下さった。「見直すと『アンダルシアの犬』からなぜあれ程刺激を受けたのか、今となっては分からない」けれども「あの笠を被った写真は、今となっても、ある意味あれを越えるものはない」と言われた鋤田さんだった。
記憶の宝物を大切なものとしてどこか別の場所に置きながら、自分のクリエイティブとはなんだろう、そんなことを思うようになったと言われ、私たちはお別れの挨拶を交わした。その直後、タルコフスキー「サクリファイス」の最初の場面が何故か不意に鋤田さんの記憶から飛び出して来て、さらにそれから一時間、私たちは夢中になってその場面について話をした。郵便配達員が自転車に乗って左上方の画面から登場する場面を、鋤田さんは未だ画面が捉える以前の時間から描写される。風、草波、ごつごつした道、スクリーンに映っていない向こう側の情景を話し合える初めての人に驚きを持ち、互いの記憶と想像の画を重ねていった。
「サクリファイス(犠牲)」は、神の実在を認めなかった男がかけがえのない人びとの日常を守って欲しい、と神に懇願し犠牲を捧げる話である。草木に至る全ての生命の営みと人びとの日常を奪い、恐怖の混沌に突き落としたのは原爆の投下だった。最終戦争で全てはなくなる。鳥、草木、水、大地、生命につながる一切は終わってしまう。世界が再びいのちを取り戻すそのためなら、自分の持つ全てを捧げると男は神に約束した。
魔女と交わることが唯一の救済策であると知った男は、聖母でも生母でもあるかのような彼女の懐に抱かれ、ひとつになって宙に浮く。この時空を超えた夢のような場面は、男が母の胎内に吸い込まれるような安堵と静寂に満ちている。男は眠りから目覚める(再生する)。世界はもとの通りの日常を取り戻している。
目覚めた男はあらゆる生命のはじまりである言葉、「母さん」と呼びかける。
鋤田さんが何の脈絡もなく「サクリファイス」の話をされたようであったが、一見無関係に呼び起こされた記憶の映像は、いのちを生み、育む普遍的な母の像と祭りの日に笠を被った母がどこかで繋がっていたのではないか、と私は感じた。
母と息子を人質にとられ亡命していたタルコフスキーの遺作「サクリファイス」は、「息子アンドリューシャに捧げる」と記され幕を閉じる。生命の終わりを確信しながらの病床で、撮影監督スヴェン・ニクヴィストに支えられ編集を進めていたタルコフスキーの脳裏にあったものは何だったろう。ある男の誕生日の一日が描かれるこの映画は、男が次に繋がる生命の為に自分のかけがえのない一切を捧げ、新たな誕生(再生)を迎えたようにもみえる。作品は息子に捧ぐと閉じられるが、親が子に捧げる、人が新たな人に捧げる普遍的な贈り物として私はこの映画を受け止めた。いずれにしろかけがえのない人々の平穏無事は、母に限らずほとんど全ての人々の願いであることに違いはないだろう。
「サクリファイス」のなかで、高価すぎると誕生日プレゼントを男が辞退する場面がある。贈り主の友人は「犠牲がなければ贈り物ではない」とプレゼントを受け取ってもらう。
戦争寡婦となった鋤田さんの母は、女手ひとつで四人の子供を育てた。当時のカメラは贅沢品だ。それを欲しいと強く望んだ鋤田さんであったとしても、口にするには大きな抵抗があったことだろう。待ち望んだカメラをお母さんからもらった時は、感じた抵抗以上の喜びがあっただろう。そして息子の喜びは、さらに大きな母の喜びとなったにちがいなかろう。
彼個人の小さなことは、「撮りたくてしょうがなかった」彼のファインダーを通して大きく動いていった。ボウイもYMOもマーク・ボランも、そして誰よりお母さんも、少年鋤田正義が持っていた小さなものに引き寄せられ、作品となって結実したのではないだろうか。その偶然の瞬間を捉えた一枚の写真から、見るもの全てを巻き込んで時代が動いて行ったといっても良いだろう。
鋤田作品の、歌う被写体が抑えられない悦びを噴出する一瞬や、ハレの祭りに装う母へカメラを向ける撮影者の誇らしさは、誰もが持つ生の悦びに重なるだろう。彼が語って聞かせて下さった記憶からは、生きていることに向けられる感謝が感じられた。作品によどんだ濁りが微塵もなく、清涼感さえ覚えるのは、作品が被写体と撮影者の関係性のうえに成立しているからだろう。たとえ見知らぬ被写体であっても、撮影者が被写体に向ける共感が作品から見えてくるようだ。
鋤田さんが「これいいでしょう」と示して下さった数々の写真は、ご自身の作品であったり他の人のものであったりしたけれど指した先にあったのは技巧の良し悪しというよりは、被写体の人生への共感だった。それらは、照明を放つ夜の美術館へと向かう老いたカップルの後ろ姿であり、パリの街角で逢瀬する若者たちだった。
(一人ひとりの悦びはひとりだけの小さなものに過ぎないけれど、)ひとり単位の被写体の、または撮影者の「小さな生」の悦びが現れる写真からは、多くの一人ひとりの普遍的な生きる悦びが表れている。
「サクリファイス」に、原爆投下の結末を幻視する場面がある。そして私たちはフィクションではなく、広島と長崎という現実を持っている。どこまでも続く「大きな」廃墟とおびただしい炭になってしまった人間の写真が、あの日の惨状を告発し、世界の終焉を幻視させるドキュメンタリーフォトであることに揺るぎはない。全ての生命を破壊する「大きな暴力」とは逆の方向から、鋤田作品もまた同じひとつひとつの生命の「小さなことの大きなこと」を教えてくれるドキュメンタリーフォトと言えるのではないだろうか。
鋤田正義作品は、はじまりを予感させてくれる。
菩提寺光世|2015.09.11