cameraworks by Takewaki
自分に実は「もう一人の俺」など、今更いないのである。
根本敬 「真理先生」青林工藝舎
「おはようございます」、
いつもあいさつからの根本敬さんのメールには、「大韓民国の全てが短い文章から滲み出ています。」、と書いてあった。
先ごろ韓国から帰国されたばかりの根本さんからの返信だった。根本さんからのメールに繰り返される韓国の文字に刺激され、二十年近くも前に姉と二人で出かけた初めての韓国旅行記を彼に送っていた。旅行記というにはごく短くはあるものの、メールにしては少し長い文面に、申し訳なく思う気持ちが若干はあっただけに、根本さんからの返事は私を安堵させるに余りあるものだった。
夫と共有する書棚には根本敬コーナーがある。
私が結婚して何よりありがたく思っていることのひとつは、彼が書籍やレーザーディスク、ヴィデオテープなどのソフトを大量に持っていたことである。なかでも音楽関連が突出しているが、私は自分の好み以外の音楽に関心はない。ありがたかったのは映画だった。ヒッチコックやキューブリック、ティム バートン、リンチは別にして、もともとハリウッド映画とは縁遠かった。だが映画に興味がなかったわけではなく、東京タワーの隣にテントを張った鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」や恵比寿にあった小屋のような会場で上映されたピーター ブルックの「注目すべき人々との出会い」をひとりで観に行くような十代を送った。それでも結婚するまで映画は、趣味とは言えない程度のものでしかなかった。喰い入るように見始めたのは結婚当初の暇と、夫のコレクションと高精度な再生機材のお陰である。夫の所蔵品は一日二、三本観ても一、二年はかかりそうな数の、しかも夢中になれるものが多く含まれていた。それを取りかかりに、気に入った監督のものは、探し、映画館を梯子し次から次へと観て行った。映画との蜜月。気に入ったものを繰り返し何度も観る日々をいくら続けても飽きることを知らなかった。
その中に根本敬監督のものがあった。「ゆきゆきて神軍」の奥崎謙三が、出所した後のドキュメンタリー映画である。映画のタイトルは覚えていない。記憶から消したかったのだろうか。「ゆきゆきて神軍」を撮った原一男監督の作品であれば、坂の途中にあった渋谷の映画館で上映された「全身小説家」までは全作品観ていた。ドキュメンタリーと劇映画の境い目がよく分からない私だが、なんとなく原一男の延長で根本敬を観たのである。
それが初めての根本作品体験となり、書棚の根本コーナーを見向くことはなくなった。
日野日出志の「毒虫小僧」や水木しげるの諸々を読み、悪い夢の冷たい寝汗で途中覚醒。それでも次の夜、寝る前にまたページを開いて読んでしまう。
そんなわたしでも根本毒だけは解毒できずにいた。
一部の作品を毛嫌いしたが、何かをきっかけに全作品を繰り返し観るようになった監督もある。パゾリーニだ。「愛の集会」がきっかけで、一部苦手だったものも含めパゾリーニ作品は、詩や自伝も読みたくなった。クローネンバーグの「裸のランチ」や「ヴィデオドローム」は再度観ようと今のところは思わない。
根本敬がパゾリーニになるかクローネンバーグなのか分からないけど、夫は数十年ぶりに、私は初めて根本さんにお目にかかることになった。
夫は、かつて明大前にあった「モダ〜ンミュージック 」で根本さんとお会いしていた。夫がまだ十代、八十年代初頭のこと。堰を切ったように話し出した両者は、音楽の話に入って行き、私は近付いて来た柴犬ラッキーと共に遠ざかった。数ヶ月後、夫が手にしたのは、根本敬作KING CRIMSON Disciplineのジャケット画だった。ヘタウマという表現があるけれど、そしてそれが彼の画風を区分する言葉らしいけれど、これが万が一、下手な絵に分類されるなら、何をもって上手いがあるのだろう。兎にも角にも私も欲しくなった。そうとしか言いようがない作品だった。
根本さんからゲルニカサイズの絵の制作に入っておられると聞いてもいたので、それが終わってからお願いしようと決めていた。私のレコードと言えば、三上寛の「負けるときもあるだろう」、友川かずきの「俺の裡で鳴り止まない詩」、ヨーコ&レノンの「ダブルファンタジー」、あとは浅川マキの数々。それだけ。浅川マキのもっとも好きな一曲「夜」が入っているジャケットにしよう。テイク違いがあるけれど、あとは相談することにして。そんなあれこれを巡らしてもいたが、根本さんは大きな仕事の真っ只中だ。煩わせてはいけない。逡巡する気持ちに手を差し伸べてくださったのが、末井さんだった。いつでも誰にでも手を差し伸べる。末井さんはそのような方だ。
ジャケット画の依頼から根本さんとのメールのやり取りが始まった。きまってあいさつの言葉から始まるメールの文面に、彼の節度ある真面目さとこちらに対する配慮が伺えた。
先のメールで私は、夫所有の「ディープコリア」を読んでみると宣言もした。根本さんは、わざわざ著者三名と軽く訂正もしてくださった。しかし矢張り初心者がディープな毒に当たってしまう恐れと、自分で購入したものを読みたくなった私は「真理先生」を選んだ。まず、タイトルと装丁に毒気を感じなかったこと、次に、いつもお世話になっている末井さんが関係しておられる青林工藝舎から出版されていたからだ。
「真理先生」は、第一章から第三章の三部構成からなる。第一章と第三章のエッセイの数々に、第二章目の小説を挟んだ構成である。それぞれが執筆の時系列を追っていない順でバラバラに配置されているようでありながら、読み終わってみると、細かく刻まれた断片によるコラージュのようにひとつをなす一冊になっている。その場かぎりの間に合わせではない「註」が印象的で、著者の記述を超えたところ、著者の周辺や当時の気配まで滲み伝わる「註」である。著者が放つ、挑み向かってくる不躾で粗野な言葉も、常に一貫し、止むことのない顧みる姿勢に支えられ、他者を嘲る冷淡さからほど遠いものであることがわかる。現代音楽の演奏家や作曲家の文章が、独特に優れた時間の感覚で構成されていることがあるように、往き来する時系列との重なりは根本作品にも通じる。それはブニュエルの「自由の幻想」のような時間の感覚に似ている。
「真理先生」の小説は、ひとりの男、清定の一生が描かれている。出だしは第三者のモノローグによって語られる。モノローグといっても、明らかに聞き手へ向けられる語り口によって、男の出自から老年期まで綴られる。続く章では、立派な会津藩士である曽祖父がいかに潔く腹を切ったか、と幼い清定に、繰り返される祖父の訓示から始まる。誘惑とは性、とりわけそれは実母に対する性的な反応であろうと清定は解釈する。オイディプス王ともオデュッセウスともつかぬ展開だが、由緒正しい家系の男子として決して誘惑に負けるようなことがあってはならぬと、セイレーン如くに現れる幾多の女たちの誘いも跳ね除け、自らを律し続ける清定。欲望は屈折に屈折しながらも、外に出ることなく男のなかに抑圧される。そして、自らを解き放ち、変貌を遂げた清定が最終章に登場する。
先述のパゾリーニに「テオレマ」という作品がある。所謂ミラノの典型的なブルジョア、工場主を主人に持つ一家が、見知らぬひとりの青年の訪問を受ける。この青年を迎い入れたことによって、家族それぞれに眠っていた性に対する欲望が揺り動かされ始める。今度は、訪問者である青年側がこの家族一人ひとりの欲望を自分なかに招き、迎い受ける。主と客が逆転しはじめると同時に、欺瞞と虚飾によって均衡を保っていた家族に亀裂が生じ始める。そして家族が一家としてのバランスを崩すだけでなく、はぎ取られ、剥き出しになった欲望によって家族それぞれ全員が破滅へと突き進んでゆく。もっとも印象に残る場面がある。訪問者に自らの欲望を翻弄された工場主である一家の主人。彼は、突如姿を消してしまった訪問者を捜し求め、築いた全資産、地位、家族の全てを放棄してしまう。それでも再会適わぬ彼が、遂に、見ず知らずの男の前で跪き、性愛を乞うたミラノ中央駅の薄汚れた公衆トイレ。ラッシュ時の喧騒と群衆が足速に過ぎ去る脚と靴。次から次へと渦巻くように流れて行くなかに、抗うことが出来ない欲望にひれ伏し、全裸でよろめく主人。脱ぎ捨てられた男の上質なシルクのトランクスがボロ雑巾のように人びとに踏みつけられてゆくシーンである。
一方、根本作の清定は、一般的に言うところの美しさとは対極にあるような老年期にかかる未知の男との出逢いによって、抑圧されていた欲望から一気に解放されてゆく。テオレマの主人とは対照的に、解放された清定は、社会規範や世間の目には目もくれず欲望が赴くままに青春を謳歌する老人へと転身する。そして最後に少年の頃、抑圧し思いを果たせぬままに心を残し、一生を引きずることになった相手の女性へ会いに行き、清定は思いを成就させ最期の時を迎えるのである。根本氏はこの場面で、「昇天」という言葉を用い、同時刻、他の場面でTVに興じる女が「笑点」をみながら笑っていた時間を重ねてオチとしている。
テオレマと根本氏の小説にどこか共通する何かを読むことがあっても、それらが大きく異なるところは、根本作品が笑いに支えられていることなのだろう。一見皮肉で冷笑的とも感じてしまう文面からは、かなり真剣に笑いの力に信頼を寄せているふしがある。誤魔化し回避するための、または同調しその場を取り繕う処世としての笑い、では決してない笑いは、世の中の理不尽や大衆のくだらなさに抗い、乗り越える力、飲み込む慈愛を有している。
そこまでは分かっても、奥崎謙三のドキュメンタリーを、笑うことは私に難しい。
「モダ〜ンミュージック」の店主だった生悦住英夫さんとの約束が果たせぬままになってしまったことを知ったのは、ご他界され半年も経ってのことだった。その頃だ。私が根本さんに浅川マキのジャケット画を依頼したのは。新宿のバー「裏窓」に連れて行って下さると、生悦住さんと約束していた。「裏窓」ではBGMに浅川マキがかかっている、浅川マキが大好きなイギリスの音楽誌WIREの記者が来日した時に一緒に行こう、と。生悦住さんから教えていただきたいことはまだまだあった。思いもしなかったことだけに、根本さんへ依頼する気持ちが急いた。思い残すことが増えて行くのが重かった。
笑いの真骨頂を掴めずとも、真理先生が、多少私を元気にしてくれたことも確かなことで、夫の「特殊まんがー前衛のー道」を今は読んでいる。
真理先生に収められたエッセイに、「もう一人の俺」がある。
ホームレスの人々を見て、他人事と思えず、著者はそこにホームレスになっていたかも知れない「もう一人の俺」を見る。しかし果たしてそこ迄「落ちる覚悟」が自分にあったか、と思い上がった自分を見る。他人の中に、「もう一人の俺」を見た自分は、そこに自分がいないことに気づくことで、「他人のなかで自分」を見つけたのだろう。
自分を見る恐怖に、真っ向から対峙することを迫る「笑い」に、私はどこまで耐えられるだろうか。
あなたはあなた自身を写し出すために、鏡の底に降りていって下さい。見ている者がいつか見られている者に変わってゆく時の、恐怖を味わっていただきたいのです。
JACKSのLPのための原稿 早川義夫
cameraworks by Takewaki
追記 その後、根本敬さんからメールで上記奥崎謙三のフィルムについて、「肝心の編集には一切、まったくこれっぽち微塵も関わ」りがないことを知らされた。うっかりものの私は、あのフィルムを毛嫌う気持ちが先行するあまり、調べ、確認することもしなかった。
ここにお詫び申し上げたい。
そして、思う。
事実を知った私の嬉しさと、根本作品の「笑い」の範疇にあのフィルムを入れられない事実を知らされた彼の嬉しさが、同質で同等なものであることを。 2017/12/9
菩提寺光世|2017.11.25