はじまりは、いつも偶然であったりする

投稿日:2017年12月17日

cameraworks by Takewaki

 

イベント開始30分前、それが打合せ時間だった。
そこで仲正さんと米原さんが初めて会うことになる。何と紹介したら互いが関心を持ってくれるだろう、と私はあれこれ考えた。

 

 イベント開始15分前。

未だ仲正先生が現われない。80年代のサブカルを語るイベントを企画したのは、いくつか出版されている80年代のことを語った日本のサブカル書籍に若干の違和感があったからだ。あの頃何でも一括りで半ば蔑まれ、ファインアートや芸術と呼ばれるものとは若干差別的に扱われ、大道から外れた迷路に入り込む小径のようなサブカルと書籍の言葉とは何か違う気がする。とは言え残るのは人の記憶ではなく、出版される活字の方なのか。世の中の出来事を後に知るということは、そういうことなのかも知れないと半ば思っていた頃にモダ〜ンミュージックの生悦住英夫さんが他界された。彼の追悼文は英国の音楽誌WireにAlan Cummingsによって掲載された。もし生悦住さんがあの頃の東京に不在であれば、その後日本の音楽シーンは今とは違うものになったのではないかと菩提寺は言った。やはり私たちが送った日々の痕跡を残そう。あの頃のリアルを生きた記憶が複数で違う方向から各々交錯させれば、面白い何かが立ち現われてくるかもしれない。
 80年代ナイロン100%にいて、その後ストリートや女子カルチャーを追っていた米原康正と、80年代日本で現代思想がどう受容されたかについて多々著作もある哲学者仲正昌樹という通常あり得ない、無謀な組み合せで対談するのはどうだろう。

 

 イベント開始10分前。
未だ現われない。初対面の二人にいきなり、さあ話してくださいでは噛み合ないこともあるだろう。少なくとも一般の人々が持つ均一的な枠のイメージには収まりきらない二人である。ならば二人とは旧知の菩提寺が入ればどうだろう。丁度、米原さんとは少し違う音楽の現場を菩提寺は過ごしていた。三人がぶつかればさらに思いがけない反応が起るかもしれない。

 

 イベント開始5分前。
それでも未だ現われない。私は迎えるために駅に向かって飛び出した。

 

 会場に駆け込み着席したと同時にイベント開始。
予定調和的なものは壊れる方が面白い、と日頃思ってはいるものの、本番開始に呼吸を整える時間すらなかった。

                           

 

 

インテリア
rengoDMSのインテリアを改装したのは、当日の午前だった。

 

今までのインテリアは、Stefano Bemerのビスポークとそのラスト棚の特大写真パネルを中心にrengoDMS/連合設計社で手掛けた作品模型の数々で構成した。それらは古くから伝承される職人の技術に支えられながら、現代を生活する人のために質とバランスの追究に精励するという文脈で配置されたものだった。注文主の足を計測し制作されるビスポークの仕立て靴と、注文設計される建造物はどちらもその機能と構造に裏付けされる美しさがある。これを改装しようと戎居から提案された。
そこから、私たちは何処へ向かうのか。私は拡張や破壊というアプローチ以外で次へ進む糸口を探していた。過去に続くだけの今日、伝統の継承だけでは物足りないし、かといって過去が無かったように振る舞うには損失が大きい。私たちの会社は戦後間もなく大学生、院生の四名によって創立された。彼らは昨年に続き今年また一名が逝った。社屋デザインは創立者によるものだ。戦後急速に普及したモダニズム建築の様式をとるが、一方で私たちが提案する設計は職人の技術や施す装飾への信頼ぬきには成立しない。

Stefano Bemerと意気投合し、無二の間柄となったきっかけもアーツ アンド クラフツを提唱したWilliam Morrisの話からだった。ステファノが生前当社を訪れてくれたのは前回の大規模な改修の時だった。

 

米原康正作品に注目しはじめたのは、2008年ニューヨークのギャラリーBARRY FRIEDMAN LTDで発表されたTokyo Amourからだ。旧知の関係ではあるけれど、生/リアルなものがそのまま写し出される以上に異物が混入し別の何かが現われることに私の関心が向くからだろう。Tokyo Amourのフライヤーを飾る作品の一つに脚を撮った4枚から構成される作品がある。大きく開かれ屈折した四枚の女性の脚の写真が方向の規則性を持たずに組み合わされる。しかし遠目に見ていると、なんだかそれが時計回りに回転しはじめるような錯覚を持つ。細分化されたものを組み合せることによって、そこには写っていない身体全体のさらには他者も含めた室内空間全体のなまめかしい時間が回り始める。私が脚曼荼羅と秘かに呼ぶ所以だ。(フラクタル)
またStefano Bemerに注文した彼の靴も興味を引く。クラシカルな靴職人の技巧を極め会得したステファノに、米原康正が一組の靴を注文した。Stefano Bemerは、現代ヨーロッパの卓越した手工芸の技術を有し、王族や貴族の系譜を持つ依頼主からヨーロッパ最高水準の靴職人のひとりとして評価されていた。

 そのヨーロッパの伝統にヒップポップカルチャーの色を組み合わせた。それはレゴブロックを想起させる緑、青、とメダリオンから覗く赤色の革が赤いシューレースで閉じられるフルブローグシューズだった。
その後Stefano Bemer×米原康正の靴は、なんと英国からヨーロッパで注目された。いわばそれは、白人のビスポーク文化と黒人の弾けるヒップホップ文化の混交といえよう。

 所謂アメリカントラッドの洋服ブランドと、日本のアバンギャルドなデザイナーのといった大手会社同士のコラボレーション製品ではない。工芸品(実用)である。

ある意味尖った異色の組み合せは、文化圏の棲み分けを越境して行く。おそらく日本より階層による文化的な棲み分けが根強いヨーロッパにおいて、それはショッキングな出来事となったのだろう。そこにあるのは継続する拡張ではなく、無に帰す破壊でもない。

これがヒントになった。

モダニズム様式の建造物の内装のリニューアルは、このようにはじまった。

 

次回につづく

 

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菩提寺光世|2017.12.18

2017.12.17 投稿|