信國太志×仲正昌樹×米原康正×菩提寺伸人 トークイベント第五弾

投稿日:2018年08月06日

信國 吉本さんにギャルソンを着せたのが、ギャルソン側のアイディアなのか編集者のアイディアなのか分かりませんが、吉本さんが評価した85年の「東京国際コレクション」を含めて、指摘できることがあります。当時、川久保玲さんは山本耀司さんと合同ショーを開き、デニス・ホッパー等を連れて来てモデルにしました。それは非常にエポック・メイキングなことだったんです。それまでの格好いい「服」を着るということから、恰好いい「人」が着る服、というプレゼンテーションだったわけです。ファッションとは内面性の一つの表現という姿勢を明確に打ち出した。その動きの中で、思想家としての吉本さんが着ることも意味があったのだと思います。
僕がセント・マーチンズにいた時のコース・ディレクターの部屋は、壁一面がすべてコム デ ギャルソンの印刷物でした。それほど彼女がデザインするものが好きでした。でもギャルソンのようなデザインをすると怒られるわけですが…。川久保さんには「ファッションは人である」という思想が根本にあったのだと思います。セント・マーチンズでも根本的に教えられることというのは、「今年の丈はどうだ」「色はどうだ」ということではなく、「そのファッションを誰が着るのか」というものでした。その人はどういう人なのか? ワインであれば赤が好きなのか白が好きなのか? 家にある照明は蛍光灯なのか蝋燭なのか? 等など、いわゆる人間像を根本に考えます。だからギャルソンのそのアプローチはとても素敵で素晴らしかったと思います。

 

――埴谷雄高はそこまで感じていて、「ギャルソンのそういうコマーシャリズムにあなたは乗ってしまっていますよ」という抗議であったかもしれません。

 

信國 かもしれなくても、あまりにもナンセンスですよね。
ちなみに僕は中学校三年生の時、コム デ ギャルソンHOMME PLUSは福岡では久留米市にしかなかったので、そこに買いに行ったことがあります。僕は当時、スタンダードなものとデザイナーズのものの間で揺れていたんです。リーバイス501を買うか、ギャルソンのジーンズを買うか、本当に迷って。ギャルソンの方がリーバイスよりも高いですよね。お店に行って試着をしたんですが、「ここは君が来るところじゃないんだよ」と言われたんです。ギャルソンの思い出として、そういうこともありました(笑)。でも、もちろん素晴らしいブランドだと思っていますよ。

 

菩提寺 僕はプリュスの縮絨のジャケットを着て彼女と銀座のレストランに入ったら、末席に通された経験があります。その時はギャルソンはそれなりにパワーがあるんだなと思いました。

 

――はい、そういうことがよくあって、私は彼と一緒にレストラン行くのが嫌になって、「また…」と思うこともありました(笑)。でも南青山のレストランでは同じ服で上席に通してくれたりして(笑)。

 

菩提寺 信國さんが断られたのは、価格という面で店員さんが判断した気がしますね。「学生には分不相応、高いものですよ」と。埴谷さんと似た感じかな。一方向的過ぎる考えかもしれませんが、その頃のギャルソンなら501と違ってまだセルビッチもない生地で、かつ形はリーバイスの影響下にあるジーンズですよね。そう考えるとその店員さんに大した思想はないですね。

 

米原 吉本さんは文章で、制服や戦時下のモンペなど、みんなが共通のものを着せられていたことを批判的に書いていましたが、例えば地方のヤンキーたちは制服をすごく自由に改造していますよ。制服の裏地にがっつり龍の図像が入っていたり。そういうものを見て、「ファッションの自由があるじゃん」と僕は思ったりします。同じものを着ているから不幸かと言うと、僕はそうでもない気がするんです。

 

信國 吉本さんも先ほどの本でギャルソンの配色のチャートを分析していましたが、よく出て来るのは青系の色なんです。それは何故かというと、日本人に合う色だからだと思います。

 

菩提寺 吉本さんが示した配色は驚くほどのものではなく普通だったということですね。米原さんが仰ったように、僕もギャルソン、ヨウジには制服のモジュールを弄る、裏返して着るとか日本の(不良)学生ファッションからの影響があるのではないかと思ったことがあります。川久保さんはピンクや水玉、グレーが好きですよね。昔、ギャルソンオムにピンクとグレーのTシャツがあって、つまり下着とは違う世界として色で主張しているんだなと思いました。最近はあまりそういう感じはないようですが。先ほど千葉雅也さんの発言を引用して僕が言いたかったのは、千葉さんは仕立服には興味がなさそうなので関係がないのかもしれないけれど、男性ファッション、ジャケット、スーツについてはどうしても仕立服が基本、原型なので、モードのジャケット、スーツでブリコラージュだ等といろいろ貼り付けたり、パッチワークしたところで、何か細工したところで、根本的な面白さにはなかなか迫れないじゃないかということです。現に近年の紳士物のギャルソンでミシン縫いの本切羽になっている商品がありました。大勢に迎合的で、機能面を考えてその仕様にしたのでなければモダニズム的でもない。

 

信國 皮肉にも、最初のギャルソンのパリコレはモンペのようなものでしたよ。そういうものを西洋人に着せて「パリコレ進出だ!」という意識があったと思います。山本耀司さんにはモロにあったと思います。

 

菩提寺 イベントとしては面白いですね。アヴァンギャルドとして。

 

仲正 吉本も「ファッション論」で、日本のアイディアだけど西洋人に着せたところがすごい、と言っています。同時に、「日本人が、この容姿の水準にまでゆくには、まだまだ長い歳月がかかるのだな」と感じたということです。私はファッションにそれほど関心がないので、偏見を持っているだけかもしれませんが、最先端のファッションって基本的に、まず恰好のいい人に着せて、それに合わせていくという発想がありませんか?

 

信國 仰る通りだと思います。でも、川久保さんにしても山本耀司さんにしても、決して西洋的な体系ではないので、ご自分たちが着てよく見えるということを根本にされています。それを西洋のモデルに着せてパリコレをやったところが革新的でした。

 

米原 当時、日本各地で農家の人や漁師にギャルソンかヨウジの服を着せた写真集があったような気がするんだけど。それにはモロにそういう思想が表れていますよね。普通ならば恰好いいモデルを立てるところを、日焼けしたオジサンにギャルソンを着せる。しかもそれが恰好よく見える。

 

仲正 これも鷲田清一の受け売りになってしまいますが、衣服のモードは必ず身体のイメージとセットになっています。身体をいかに魅力的に見せるかが基本になっている。隠している場合は、「そこはどんな風になっているのだろう?」と思わせる。

 

信國 エロティシズムですね。

 

仲正 そうですね。鷲田清一の議論を読んでいると、どうしても、彼が論じているのは恰好いい人のエロティシズムのような気がしてしまいます。じゃあ身体的にあまり恰好よくない人のエロティシズムはファッションの中でどのように表現され得るのかな、と読みながら感じました。だって、やたら太った人とかすごい猫背の人とかの身体のラインをそのまま想像させたら、うんざりしちゃうでしょう――不細工な身体の方がいい、ブサかっこよさが素敵だという人もいるでしょうが、そこをターゲットにするのは難しいような気がします。かといって、ひたすら隠したらファッションにはならない。

 

菩提寺 ギャルソンはフェミニズムとの関連はあるのでしょうか?

 

信國 名前がコム デ ギャルソン、「少年のように」ですからね。周りでどうこう言うより、彼女自身のあの華奢でスレンダーな体系をどう見せるかということからだと思いますけれど。

 

米原 セクシーという部分に関しては、ギャルソンのファッションにはない?

 

信國 〈アズディン・アライア〉のボディコンのような感じはまったくないですね。

米原 ちょうどギャルソンが出てきたのは、ディスコ・ブームの時で、その正反対に位置していた。やっぱり服飾系の子たちが好むという服という感じでしたよね。普通のギャルとかディスコで騒いでいる人たちは、一切ギャルソンは着ない。着ると逆に浮く。浮くというのは、先ほどの末席に案内されるということですね。時代的には一般的ではなかった。一般的な人たちから見ると、ギャルソン着ているのは「ヘンな人」。こんなに議論されているけれど、コム デ ギャルソンは普通の人は手を付けない服だった。

 

菩提寺 ちょうどその時代に、前回も少し話題にした、ジョルジョアルマーニやジャンフランコ フェレ、ヴェリウォモ等のミラノ・ファッションが流行り出したと記憶しています。一般人にはああいうものがわかりやすかったのかな。

 

米原 〈ザ・ギンザ〉がアルマーニやセルッティを置き出した頃ですね。イタカジがわーっと入り出した。

 

信國 イタカジ(イタリアン・カジュアル)ですね。

 

米原 男子も女子もイタカジ全盛の時代。女の子は基本的には体の線を見せる服でしたね。

 

——吉本も制服について言及していましたが、そういえば銀座の小学校が今年アルマーニの制服を採用したということで物議を醸し、報道番組でもその話題でかなりの時間を割いていました。あれはどういうことだったんでしょう?

 

菩提寺 これも先ほどの吉本–埴谷のギャルソン論争と似ている部分がありそうですが、メディアで「庶民感覚では…」という言葉が出ていましたがどうですか。

 

信國 泰明小学校の件は港区は学校を自由に選択できることから生徒獲得の経営戦略として賢いと思います。
公立だから公平でという意見には賛同しません。

 

——私の学校は横浜にある中高一貫校だったのですが、制服は関内の老舗の仕立て屋が採寸に来ていました。当然だけどそれが物議を醸したことはありません。それは私立だからということもあるでしょうが、アルマーニという名に理由がある気がします。もし泰明小学校の制服が私と同じ仕立て屋の服だったら、値段が高くても話題にはならなかったのではないかと思います。

 

信國太志×米原康正×仲正昌樹×菩提寺伸人(菩提寺光世 司会)|2018.08.06

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