根本敬×仲正昌樹×菩提寺伸人トークイベント第四弾

投稿日:2019年11月07日
cameraworks by Takewaki

菩提寺:やはり、根本作品の肝心なところは子供の頃から変わっていないのではないでしょうか。先程も根本さんは転向がないという話をしたばかりですが、確かにアックス誌(vol.17)上のみうらじゅんさんとの対談でもお二人とも(ジョン・ライドンみたいに)マンガ家として子供の頃から働いていたという話でした。だから本心は平均的、人と同じ、きれいごとに親和性があるのにルサンチマンから反正当、反正統とか、アンチでマイナーシーンに適応するために、敢えて悪趣味さを演出したり、露悪的にみせているということではないことが、明確にわかる文章だと思いました。もちろん上にいろいろなものが重積していくことはあるけども。実際、作品にも子供の時に描いたものに追加やコラージュなどして表現されているものもある。この「幸福菩薩」もそうですよね。

『ペンギンごはん』に関しては、根本さんが影響を受けたということでしたが、僕にとってはオシャレなものっていう感じです。いや、オシャレなものと感じさせる作品と言った方が正確かな。ブライアン・イーノみたいな。そういえば76年にオブスキュアから出たサイモン・ジェフズのペンギンカフェオーケストラがオシャレと捉えられ、ちょっと流行って初回レーベルにプレミアムがついていた。80年代に。

根本さんの場合はオシャレという感じはなく先鋭的、むき出しの表現が尖過ぎていてミーハーを寄せ付けない。

根本:今となってはそこが長く持った秘訣かも。金持ちにはなれないけど(笑)

菩提寺:湯村輝彦さんは当時まだマイナーだった有望な人たちに仕事を紹介したり、回されたりしていたという話をよく聞きます。今でも皆さんはその事を感謝されているようです。高額な収益に繋がりにくいマイナーシーンに、生活の糧になる仕事を持ってきてくれる方がいてもらわないと業界的には大変だから、そういう方面に明るい方にうまく入ってもらうことは、大変いいことだと思います。作品を楽しむ側もインターネットがなかった時代は、そもそもマイナーなメディアでもメディアに出てこないとこちらも気が付くことすらできなかった。『ガロ』に根本さんが紹介されていなかったら、僕も気がつかず、こんなに刺激を受けることはなかった、受けることができなかったと思います。湯村さんのような方がいたり、マイナーでもメディアがないと面白い表現が存在しても受容する側は知ることもできない。だから仲正先生からあった売れすぎず変質しない雑誌も大事だった。昨今のネット検索で情報を得る時代でも、少なくとも僕の場合はそのきっかけや、人脈図、系統図だけで意味ある事がつかめない場合はキレのある編集者、批評家など人経由で情報を得る方が効率的で確実だったりします。

司会:だから湯村さんのような方が大事だということですね。今でも。私、あいちトリエンナーレで、偶然、小杉武久さんにお会いし、その時に、ジョン・ケージ氏の話を聞いたのですが、ケージがまさに湯村さんみたいな役どころを担われていて、新人や売れずに食べられない音楽家や、アーティストの面倒をみて、仕事を紹介したり、人を繋ぐことに労を厭わずされていた、と聞きました。ケージの仏教や禅の話から、サイコロによる偶然性の話は、そういう彼の性格とぜんぜん食い違いがあるっていうわけじゃなくて、繋がる事なのではないか、という話を伺いました。湯村さんの話を聞いて、なるほどそういう人は、その時代その時代に大事な人だと思いました。

菩提寺:仲正先生のお話しに出た「特定のルールの下で構築された擬似の美しい世界に同化されていく」「慣らされていく」という正統的、イデアと感じるようなモデルで、次々に似たようなものが出て反復されながら、その範囲内で、安心してそれをみながら、みんな一緒に流行って大多数になっていくという。それだけで世の中が動いているとそういう作品ばかりになってしまうはずですが、実際は所謂ハリウッド映画ばかりとはならなかった。敢えてアンチメジャー、反正統というのではなく、先行して好事家はいつも世界中にいて、例えば以前の会でも話したように好事家が聴いていた70年代のジャーマンロックからパンクが影響受けて、ニューウェイヴが出て、次に売筋の俗にいうところの耳触りの良いニューウェイヴがミーハーに受容されAORと一緒に売れ、説明的な映像のMTVに出て、ミーハーが去った後はそれに受けていたものは消える。結果、歴史に残ってレコードにプレミアムが付くのはジャーマンロックとパンクという例みたいな。個人的には勘違いか、無難になるように調整してマイナーからメジャーになる例の方が多いような気がします。以前の会でも話したようにマイナーからのものは少なくとも歴史として残る。将来受けるようなカルチャーになる事が多いような気がします。もちろんぱっとしないものでマイナーのまま歴史に残らないものはあります。マイナーのなかの流行ものとか。前出の呉智英さんの後書きにあった根本作品の逆の例として示された「程度のわるい普通」のようなもの。今、書籍などで80年代のカルチャーというと大多数だったJJやAOR、ブラコン、フュージョンなどではなく、ガロやナゴム、ナイロン100%だったりする。ようするにアンダーグラウンドの話ばっかり。映画史に巨匠として残っているパゾリーニ、ブレッソン、ブニュエルもそうだろうし。そういう意味では根本さんも大変高名で、外国人でも知っている人たちは一定数しっかりいる。80年代のカルチャーでは非常に重要な人物だと認識されています。僕の周りでも影響を受けたという人が多かった。ミュージシャンでも影響を受けている人は多いと思います。90年代に日本のノイズ、ジャパノイズが世界的に有名になり、そこから遡って裸のラリーズ、灰野敬二等も世界で有名になりましたが、それはジョン・ゾーンさんが高円寺に住んでいて彼が海外に発信したことが影響したと思われます。ゾーンさんと親交がある巻上公一さんからも先日そのようなお話を聞きました。

その流れでも、根本さんなど、漫画の世界も幾らか流れて行ったのではないでしょうか。何が言いたいかというと最初はほんの少しの人達が関わって特殊なレコード屋か特殊なライブハウスで起っていた事が世界に認知されると各国の好事家が反応する。好事家のなかには学者、研究者や芸術家もいるので、その後、特に欧米で概念化されたら歴史に残りやすいという感じでしょうか。仲正先生からよく「本にしないと残らない」と言われるのですがそうかもしれません。

司会:今の話は実感としてあります。80年代やそれ以前から『ガロ』や明大前の『モダ〜ンミュージック』にしても、そこに鼻が効く面白い人達が集まり行き来があった。世間一般には知られていない貴重な情報の集まりどころとでも言うのでしょうか。そこで情報が行き交い交換されるので、そんなに大勢というわけじゃないけれども、例えば、現代音楽のコンサートに行くようなお客さんが200人程だとします。ノイズに関心がある人はその200人中結構な割合をしめると思います。同じ場所に根本作品をずっと読み続けてるファンがやってくる。だからファンが200人から500人ぐらいまでという話もファン層が重なっているのではないでしょうか。『モダ〜ンミュージック』と『ガロ』は別分野ではあるけれど、そこから浸潤していくような感じと言ってましたが、カルチャーに対し感度が高い人たちのなかで、紹介したり、教わったり、行き来し拡がったのかと思って。

菩提寺:そこで偶然と必然じゃないけど、夜間中学の講義録にも書かれてるガモウユウジ先生の話というのがあります。僕は80年代にモダ〜ンミュージックの生悦住さんの紹介で初めて根本さんとお会いし、2、3年前に末井さんの紹介で、青林工藝舎で久々に根本さんとお会いしたのですがその時いきなり根本さんから2人のガモウ君の話が出て来て面食らいました。根本さんのところに90年代に印象的なファンレターが、ガモウユウジ君とガモウユウイチ君という人達から同時期に何通も送られてきていた。内容とかが何か違うな、何か変だなと思ってよくみたら別人だったと。実は僕、ガモウユウジ先生とは知り合いだったんですよ。それも、ただ知ってるというのではなく、僕がある大学で神経化学の研究班にいた時に、そこでガモウ先生と一緒にいて夜中に実験などをやっている時に根本さんや京浜兄弟社や関西ノーウェイヴの話をした記憶があります。ちょうど90年代です。今ガモウ先生は別の大学に移られてギャンブル障害の専門家として活躍されています。ところでなぜ面食らったかというと根本さんから、いきなり唐突に「ガモウ君知っていますか?」と聞かれたからです。

司会:それで何が言いたいかというと、さっきの200人、500人の話なんですね。今、これが、2000年以降、インターネットというツールがあったら、今みたいな話はもうすでにないと思うんですよ。80年代のおもしろいところっていうのは、『モダ〜ンミュージック』だとか『ガロ』にしても、SNSといったツールを持っていないから、結局、そこにいる人は同じ人、同じような人が繋がって行ったのだと思います。

仲正:ちょっと狭いサークルの話をぐるぐるしすぎてない? なんか私がけっこう疎外されてる感じする。

司会:すみませんでした。でも狭いサークルの話をしているわけではないんです。むしろそのコアなマイナーがその先のメジャーを引っ張るという話なんです。岸野雄一さんの「正しい数の数え方」公演が国立新美術館であった時、子供たちの質疑応答があり、岸野さんが「ケイジ君か、灰野敬二君だ。かっこいいな」って言われて笑えました。京浜兄弟社も灰野敬二さんもマイナーかも知れません。でもパリのレコード屋で灰野敬二コーナーがありました。2000年頃だったと思います。そこにPSFのCDや根本さんの漫画もあったわけですが。

疎外感をお持ちになったら申し訳ありません。

仲正:僕自身は別に疎外されていいんだけど、それだと人脈の話になって、作品それ自体から遠ざかってしまう。根本さん自身の作品にまた話戻したいんだけど、『ガロ』全体の傾向と根本さんの作品との繋がりを考えてみたいんです。ここに、『ガロ曼荼羅』(一九九一)という、TBSブリタニカから出ているガロの歴史を作品ごとに辿る歴史・エッセイ集があります。根本さん自身も寄稿されているんですけれど、井坂洋子さんが言われてることが、これ非常にぴんときました。根本さん自身が書かれてることともつながってきます。こんなふうに書かれてるんですね。「内在化された欲望の一端を引きずり出される不可思議な活気は今もずっと脈打っていると思います。私は、『ガロ』を長い間買い続けたわけではなく、ちゃんとした読者ではありませんが、学生の時に買った数冊を読んだ感じと、今手元にある最近の十数冊を読んだ感じがほとんど違わないことからもそう思います。/知に汚染されそうな領域を扱っていて、なおかつ馬鹿やってるというか、そんなところがいいと思います」と。「知=理性」と「バカ」の境界線上でやっているということですね。「生命って、本来グロテスクなものだと思うし、健康な市民生活をおくってる人が、意識下に抑圧してしまった過度の感傷とか殺意とか恨み、少女性等々が『ガロ』にはいって噴き出ている、花開いているというか…」。「花開いている」っていうのは、ちょっとおもしろい表現ですね、性的・身体的なメタファーになっている感じがしますね――根本さんの作品の世界を念頭に置くと、性器だけじゃなくて、いろんな部位が思い浮かびます。「ただ、もっと徹底して過激にと思うことは、すでに意識的な観念操作であるので、『ガロ』よ、もっともっと小泉今日子のように私は叫ばない。今のままでいい。中途半端でなんだか形容しがたいマンガがたくさん載っているというんで充分と思います」ということです。。「生命」それ自体のグロテスクさに強引に目を向けさせるような作品がもともと多いんというんですね。これまさに先ほどから話している根本さんの作品から見えてくる世界観そのものだという気がします。意識の閾下に抑えておきたい気持ち悪いものを描いているんだけど、観念的に過激性を追求しないというのも、根本さん的だと思います。それで、根本さんご自身の文章を読んでみましょう。今の話とうまくつながっています。

「タケオの世界 The World according to Takeo」の絵が出てていますね。それでね、ここんところがさっきの井坂さんの話とつながります。「ハッキリ言えば、漫画を描く奴なんてものは、一般誌も『ガロ』も問わず、どっかで歯車が狂ってりゃ宮崎勤氏の如き犯罪的行為に及んだり、精神病院のお世話になる様な奴(他に業が深い、という云い方も可)が圧倒的に多いんだから、そんなのがピュアな心根で漫画表現に挑み、自己探求とか自己鍛錬に打ち込めば、おのずと世間とは必ずしも折り合わぬ、奇異な作風、奇異と呼ぶほどでなくとも、そいつ独自の世界が拓けて然るべきものなんだと私は思いますね。でもそんなのは極端なハナシ、てめえの内臓や排泄物を人前にさらけ出すような部分もあるんで、健全なる善男善女には全然喜ばれません」と。普通の人は見たくない、自分たちの「内蔵」や「排泄物」をしつこく描く、という意味で“正常”から外れているというのは、まさに根本さん自身の作品の特徴ですね。。小さい子供ってね、排泄物の話するでしょう。なんか、うんこ出たとかね。女子はどうか知らないけど、男子はトイレ行って、人が大便してるところを見たがるでしょう。

司会:好きですよね。

仲正:大声で話するでしょう。田舎だと、高校生くらい、ひどい時には大学生になっても、何故かトイレで大騒ぎしたがる奴がいるけど、あれも幼児期の排泄物への関心の名残かな。

それから、他人のズボンやパンツに手を突っ込んだり、ずらしたりする。恐らく、本人的には性的な意味はないと思うんですが、精神分析的な見方をすれば、無意識で性的なものと未分化の欲動が働いているのかもしれない。6歳か7歳、『ジャンプ』とか『マガジン』を読み始める年齢は、ちょうど境目みたいな気がします。つまり、そのぐらいの年齢になってくると、うんこ見たいとか、汚ないものを振り回すとかね、お互いのおちんちんを触るとかね、そういうのは汚い行為だ、かっこ悪いっていう意識がはっきりしてくる頃でしょう。そういう漫画雑誌に出ている絵には、一部にグロテスクなもの、汚らしい感じのものもあるけれど、主役級はきれいな、理想化された顔や身体を持っている。そして、もう少し年齢が進むと、国語の時間とかで、小説などを読むことで性に関する適切な表現を学ぶしか、社会科とか性教育とかで、何が性的・肉体的に不道徳なのか学び、、だんだんしつけられてくるでしょ。それと、道徳感覚とは別に、自分の体の中で、あんまり見せたくない部分、かっこよくないんで、恥ずかしい部分って出てくるじゃない。例えば私は、小学校生の時、けっこう肥満児に近いぐらい太ってた時期あってね。自分のここ嫌なんです。今でも。

司会:お腹?

仲正:お腹のここ、おへその下、下腹ね。なんかお腹のここがベターとなってるのが嫌なの。かなり細い人でも、ここはペタ-ってなるものだけど、そう分かっていても、子供の時の嫌な思い出が強くて、見るの気分悪いし、人のお腹がこうなってるのも気持ち悪い。

司会:贅肉?

仲正:贅肉。贅肉大嫌いなんです。多くの人は、漫画やテレビの特撮やドラマを観たり、ボディービルのようなものがあるってわかって、こういうのがかっこいいか体なんだと、、だんだん分かってくる。見せるんだったらかっこいいところを見せよう、ってなってくるでしょう。その時に、そういう比較的かっこいい所との対比で、人間の体の一番汚いところが際立ってきますねよね。おしり周りの排泄物出すところって、どんな美男美女だって、見せたくないところでしょう。しかも、男性の場合も女性の場合も、いかにもべちゃーとしている。もう生命体としてなんか終わってるような、最初から始まってもいないような、だらしない体型のおじさんが露出したら、ますます気持ち悪い。そういうところが露出している絵が根本さんの作品に多いという印象があります。さっき幸福菩薩に関する菩提寺さんの話を聞きながら思ったんだけど、根本さんの絵って、美しいとか不細工だとかってまだはっきりしてない子供の感覚を、大人になっても引っ張っているような感じの出てき感じがしてきいました。『ガロ』の中で出てくる作品ってね、わりと肉体をマニアックに描いているの多いでしょう。例えば、『カムイ外伝』とか根本さんの作品と違って、プロポーションがいいキャラクターが主人公だけど、体の細部を描いていることは共通しているでしょう。大昔の子供向きの漫画でいえば、『アトム』とか『サリーちゃん』とか体ほとんど描いてないんです。まるでプラスチックか金属のパイプ状の塊に手足をくっつけただけの、昔の幼児向けの即製のお人形みたい。アトム自体はロボットだから仕方ないにしても人間のキャラクターも体の細部がどうなっているか、どうやって体が動くのか分からないし、アニメ見ても動きがあまりないんで、身体っぽさが感じられない――アニメの場合、当時の技術水準のため仕方がなかった、ということもあるのですが。体の細部をリアルに描くというのはもともと純粋に子供向けの漫画にはそぐわない。特にお腹とか局部の周辺とかを、ぐにゃーとなってるところとかを描くって、健全な子供の漫画ではない、なかったんですよ。少なくとも『ガロ』が創刊された頃は。今だったら、少年漫画でも、ちゃんと肉体を細かく描いているのも多いだけど、ただそれはかっこいい肉体を見せるんです。ぶさいくな中年のおっさんで、下腹の周りが雑巾みたいにくちゃくちゃになってるおじさんの肉体は、キャラ配置の上で仕方なく描くとしても、本のちょっと端っこに描くか、ぼかすかでしょう。根本さんの絵は、その真逆なんですよ。

司会:そこを繰り返し繰り返し。

仲正:いろんなおじさんいると思うんだけれど、50歳ぐらいになるとどんなに痩せている人、引き締まっている人でも、筋肉はだんだんしぼんできて、べちゃーとした感じが出てくるじゃないですか。痩せてる人でも、痩せてる人なりにこの辺に余分の皮が出てきたりしちゃったりするじゃない。見たくないものを、これでもかこれでもかっていうぐらいに、村田藤吉ってキャラは体全体で見せつける。単にいじめられてるってだけじゃなくて、いじめられるたびに弱いところがべちゃーと露出してくるんです。人間ってもともとそういうものなのか、社会的制度のせいでそうなっているのかわからないけれど、自分でも他人でも見たくない部分、体の一番醜いところを抱えながら生きている。それをなんとか抑圧してるのに、根本さんの絵は一番見たくないんだろうって所を突いてきてるような感じはするんです。自分がこうなってるところをほんと想像したくもないところを無理に想像させる。

司会:確かにそうですよね。確かに自分が村田藤吉だったらつらすぎますよね。

仲正:村田藤吉だったら、自我を保ってられないような気がします。だから彼を見ると、自分の外的な形をもうちょっとかっこよく見せたくなる。自分が本当に村田藤吉みたいにぐにゃぐにゃした脂肪の塊みたいな体してたら、ちゃんとスーツ着てかっこつけて、鏡に写った姿は身だしなみよくしてきれいに見せたいと思うじゃないですか。醜いおじさんであればあるほど。根本さんは、そうした願望にわざと逆行する。でもその一方で、そういう醜い自分を見たいって願望も実はあるんだと思うんですね、深いところにね。

司会:自分の見せたくないところを見たい。

仲正:精神分析みたいな話になるけど。人間って、「見たくない」ものに、実は関心持ってる。

司会:根本さんのある時期からいい顔のおやじとか。

仲正:いい顔の親父?

司会:ちょっと癖のあるおじさんとか。

仲正:どんなの? ちょっと見せて。

菩提寺:これもその中へ入れていいのでしょうか。いい顔です。

仲正:これがいい顔のおやじ?

司会:味のある顔の。

仲正:ああ、味があるね。

菩提寺:あと名前にオーケストラとつけて、様になる人がいい顔、迫力のあるおやじという話がありましたが。

根本:ええ、例えば「勝新太郎オーケストラ」とか。

菩提寺:勝新太郎オーケストラ、サン・ラアーケストラとか。

仲正:勝新太郎さんの絵も、村田藤吉っぽいですね。なんかぺちゃーとしてた。

菩提寺:これ根本さんたちが勝さんにインタビューしたものです。

仲正:これか? これ?僕のイメージしてる勝新太郎は、確かにこんな感じですよ。この顎のあたり、蛙みたいになってて。僕が勝新太郎を、座頭市じゃなくて、勝新太郎っていう俳優として認識した時、もうすでにこんな感じになってていました。今の芸能人で言うと、中川家の礼二みたいな感じに見えてた。

司会:おじさんとして迫力のある人。

仲正:でも、やっぱり、べちゃーとした感じのおじさんだなって。昔イケメン俳優だったみたいな人がべちゃーとした感じのおじさんになるとね、そのギャップがどうも気になってしょうがない。

司会:首とあごの境目がなくなっていく。お肉がたれてきたり。

仲正:お肉たれてきて、なんか気になるのね。

司会:太ってきて。

仲正:太ってきてっていうかね。生命体として異質なものになってるような。

司会:肉の塊まり。

仲正:根本さんの絵のイメージからすると、肉の塊っていうより、カエルっぽくなってくる。カエルってこんな感じでしょう。

司会:首ないし。

仲正:ああいう蛙状態は、醜いと思うんだけど、ついつい見ちゃうのね。

司会:作品がそういう作品になってるっていうことですかね。ついつい見ちゃう。いじめられてていじめられてて嫌なんだけど、ついつい見ちゃう。

仲正:勝新太郎の絵は一貫してそういう感じでしょう。おそらく最晩年に近い勝新太郎でしょう。若いときはもう少ししまってるでしょう。人間がだんだんべちゃーとしてくる感じがちゃんと出てるなあと。そういう印象に残りました。勝新太郎に惚れ込んでいるようなスタンスを取りながら、彼がべちゃーとしただらしない体のおじさんになっているところをちゃんと描いておられる。

菩提寺:またマイナーな話ですが、根本さんの大事な活動、仕事の一つに「幻の名盤解放同盟」があります。湯浅さん、船橋さんと3人で活動されていました。このスナッキーのCD、後にカンを再発するPヴァインから出ていて、僕はこれ聴いた時に、前も話したけど、ジャーマンロックのカンの2ndアルバムに入っている『マザースカイ』という曲に『スナッキーで踊ろう』が似ていると思った。そして、1968年だから『マザースカイ』よりも前に発売されている。

根本:カンの『マザースカイ』。

菩提寺:この時期カンのボーカルは、日本人、ダモ鈴木だった。

司会:ダモ鈴木経由で。

菩提寺:以前の会でも話した偽民族音楽シリーズ(E.F.S.)で日本の古典音楽みたいなのもあるので、カンのメンバーは日本のレコードもいろいろ聴いていたのではないかと。

根本:『マザースカイ』ですか。

根本:あー、帰ってからじゃ気になる。ちょっと失礼して。「マザースカイ」。youtube。出るかな?(根本さんスマホから検索する)

菩提寺:最初の出だしはギターソロなんですけど、ボーカルが始まる前のホルガーシューカイのこのベースあたりから。

司会:これはドイツのカンですよね。

菩提寺:カンの主要メンバーは、元々シュトックハウゼンの所にいた人達で、中沢新一さんがどこかで言っていた「チベットで会ったシュトックハウゼンを信奉していたジャーマンロックのミュージシャン」はカンのメンバーではないかと僕は思っています。近年はファッションブランドのアンダーカバーからTシャツやレコードも出ていて今はカンのことをオシャレな定番ロックと思っている人達もいるようです。そんなカンですが、「幻の名盤」7インチ『スナッキーで踊ろう』から露骨に影響受けてるのではないかなと。

司会:じゃあ、『スナッキーで踊ろう』をちょっとかけてみましょうよ。

根本:(you tubeでスナッキーで踊ろうを検索し再生)歌えるね。ボブ・ディランだって歌えるよ。この『スナッキーで踊ろう』もね、今はね。『スナッキーで踊ろう』、ユーチューブ。

司会:これがカンのマザースカイのネタ元?

菩提寺:ヨーデルみたいな感じもある。後ろに有名になる前のアイドルの人たちがいて、コーラス、ダンスで参加。ジャケに写っています。若き風吹ジュン、吉沢京子、小山ルミとか。

根本:カンだね。スナッキーを歌っている海道はじめは民謡教室の先生なんですよね。カンも日本の民謡きっと聞いてたはず。海道さんは中野ブロードウェイの坂越コーヒーのオーナーでもあるんです。

仲正:やっている本人たちがみんな、そうした芸術史的な系譜のようなことを強く意識して創作しているとは思えないけど。菩提寺さんや根本さんの観点からは、そういう風に再構成できるということなら、納得できなくはないです。

菩提寺:スナッキーは演歌で有名な船村徹が作曲、メジャーの演歌のプロデューサーの方が関与し、船村氏の弟子筋の方(坂越さん)がリードヴォーカルをやったという演歌でよくあるパターン。なのになぜかGSを意識した曲調で、そのGSより奇妙でカルト受けする曲になった。大手食品会社が新商品の「スナッキー」を発売する前に曲を流行らせといて食品の売上げをのばそうという計画のもとに制作されたレコードだったと思いますが、結果レコードは流行らず、食品は売れず、その計画としては失敗。まあ、いろいろな偶然性が重なって出来た作品だと思います。おそらくメジャー演歌の系譜を意識して、各々のそれと異なるものをという思いが強すぎて、さらに促販の企画ものという前提がついたために、奇妙なレコードを発売させたのではないでしょうか。

根本:音楽をつくったり作詞したりするってのは、一緒なんですよ。全部仕事として。どんなものでも。

菩提寺:別の「幻の名盤解放同盟」のCDには、キングクリムゾンのエピタフみたいな曲を歌っている人も入っている。こちらはクリムゾンの方がオリジナルだけど。

根本:マリア四郎がヌード歌手みやざきみきおとなって出した、『海猫』ですね。アレンジは確か深町純。

菩提寺:暗く、しけているけど歌い方がナルシスティックですね。もしブライアンフェリーが正式にクリムゾンに入ってエピタフを歌っていたらこんな感じになっていたかもしれない。フェリーは実際にクリムゾンのオーディションを受けてその時に「21世紀の…」を歌っていてテープがロバートフリップの手元に現存しているらしいです。その後フリップがEGにフェリーを紹介してロキシーミュージックが契約したとか。深町純アレンジで、後期のコルトレーンみたく尺八奏者が吹き捲くっている。僕はイアンマクドナルドの演奏が好きじゃないのでこっちの方が好みです。

2019.11.7 投稿|