信國太志×仲正昌樹×米原康正×菩提寺伸人 トークイベント第六弾

投稿日:2018年08月20日

cameraworks by Takewaki

 

仲正 ところで、先月にあった米原さんの写真展「FLOWER CHILDREN ― “THE MILLENNIALS”」で見た女の子の姿勢が気になっているんです。ああいう子を見ると、「おしゃれ」ってそもそも何に対するこだわりなんだろう、と思います。従来、どんな「おしゃれ」でも基本的に、腰を落としてお腹を突き出す、オジサンがよくやるようなだらしない姿勢――私も時々やりますが――は、良しとされていなかったですよね。米原さんの写真に写っていた女の子ではお腹を突き出した姿勢の子が目立ちました。最近よく見る姿勢の悪い典型的な女の子です。大学でも最近は姿勢の悪い女の子がすごく増えているんです。金沢大学の同僚の30代半ばの女性の先生と話したのですが、最近は姿勢をよくしてウエストのラインを綺麗に見せようとする意識のない女の子が増えてきているような気がする,ということです。この身体感覚は面白いなと思ったんです。オジサンが楽したい時の姿勢ですよね。米原さんの写真を見ている内に、金沢のような田舎の子だけではなくて東京でもだぼーっとした感じが平気になってきているのかな、と思ったんです。

 

米原 基本的に姿勢は悪くなってきていますね。

 

仲正 最近は昔のように学校の先生が姿勢をいちいち直しません。例えば字を書く時、机に覆いかぶさるような姿勢で書いている子が多い。おそらく隠したいという気持ちがあるんでしょうね。そのせいで、胸にぐっとペンを引き寄せることになり、不可避的に筆圧が高くなり、不自然に太い字になったり、紙が破れたりする。それなりにおしゃれな感じの服装をしているつもりに見える女の子が、昔なら先生に直されていました。

 

信國 ギャルソンやヨウジヤマモトのようなブランドから発生した身体性のようなものがあると思います。そのデザインは、リバイバルされて、もはやスタンダードになってしまっているので、今の若い日本の女の子は、西洋的な身体に憧れて、モデルのように胸を張って歩こうとかいう意識はないのではないでしょうか。

 

菩提寺 バルトは、モードとクラシックを比較した議論で、〈クレージュ〉の時代のモードは女性の身体を表現していると論じていました。それに対しギャルソンやヨウジヤマモトはアンチで、それを破壊していった面があるのでしょうか。それを西洋人に着させたことに対して、ガヤトリ・C・スピヴァクがギャルソン批判をして、フランス文化を搾取したというようなことを言っているそうですが。

 

仲正 最近の女の子が姿勢が悪いという話に共感してくれた、先ほどの30代の同僚が、フランスの女の子はヒールを穿いて背筋を伸ばし、バレリーナのように姿勢がいいと話していました。日本では鏡などで姿勢をチェックする習慣がないから、だんだん体位が崩れてバランスが悪くなっている子が多くなってるんでしょうね。

 

米原 オジサンがお腹を出すのは、その姿勢が楽だから。でも、オジサンに姿勢悪いよって、指摘すれば変えるよう少しの努力をする。もともとオジサンには姿勢を保つという価値観があったからだと思うんです。そういう姿勢をただす、という価値観がなくなった今、楽を求めてオジサンと同じような姿勢になっていくのは必然かもしれませんね。僕自身も、彼女たちをモデルみたいに立たせるのは嫌なので、普通に立ってもらうとああいう姿勢になることですね。

 

仲正 ファッションと一緒に、どのような姿勢をすると恰好よく見えるかというイメージがだんだんと変わってきているのでしょうね。

 

米原 もう全然ないですね。

 

信國 ないですね。

 

米原 何をブームにしていいか分からない今の状況からすると、「こういうことをしなくてはならないとか」「こういうことが恰好いい」という、みんなで共有できるようなイメージが今はまったくないんです。

 

信國 僕の時代から、アンチ・ファッションがファッションだったので、僕らがファッション・ショーをする時は、いかにモデルにモデルウォークをさせないかに必死だったわけです。「モデル歩きは絶対にしないでください」と。もはやそれを説明しなくてもいいくらい、以前の西洋的イメージはないですね。

 

米原 ブランドによってはモデルが全員素人というところもあるよね。

 

――セント・マーチンズの時代からそういう感じだったんですか?

 

信國 デビューして自分のショーをやり出した頃ですね。ちなみにこれはモデルの話ではありませんが、セント・マーチンズで、クラッシュド・ベルベットというベルベットをシワ加工した生地を持って行った時はすごく怒られました。何故かというと、ゴージャス、リッチなものを表現する生地なので、すごく体制的なものだからです。その時から根本にあるのはアンチ・ファッションなので、「こんなの使ってどうすんの」という雰囲気が学校自体にもありました。「あなたは〈クリスチャン・ラクロワ〉みたいになりたいんですか?」みたいな。

 

菩提寺 信國さんは、今の仕事では高級素材を使われてますよね。コーデュロイは労働服から発生したもので、昔フィレンツェのベテラン職人Loris Vestrucciさんからスーツとして着るのはコミュニストか建築家だという話を聞いたことがあります。以前信國さんのお店で生地見本を見せてもらったら「カシミア」のコーデュロイが各色ありました。ここの(rengoDMS)戎居さんが濃紫のカシミアコーデュロイでスーツをつくりました。

 

信國 コーデュロイは勧めていますね。高級な素材も使っています。記号のゲームをするデザイナーを降りたので。

 

米原 今は、体制サイドに入ることの方が圧倒的にパンクだよね。

 

信國 僕が興味を持つのは、”ねじれ現象”です。ある時点からクラシックなものがアヴァンギャルドになるということに、ものすごくワクワクするんです。

 

米原 常に新しくあること、その当時にメインのイメージを壊すことが恰好よかったわけじゃない。でも今はすべて壊れているわけです。そこを分かってほしいんです。今の若い子たちには、もうそういうものがない。今の世の中には核となるものがないんです。僕らはこうやって語るけれど、今話しているようなことを若い子たちが聞いても「何の話?」となると思う。僕は街の話から答えを出していきたいんです。信國さんのやっていることは、今や若い子たちが知らないことを、改めて「こういうことですよ」と出していることになる。若い子たちにとってはすごい衝撃で、びっくりしちゃうんです。パンクが突然出てきて、穴あきファッションが衝撃的だったのと一緒。その時は「何これ!?」という衝撃があったけれど、今は何にでも穴が空いていて、穴という記号でしかない。それを反体制の証みたいに思う子はどこにもいないわけだもん。

 

菩提寺 シュー・メーカーのStefano Bemerが存命中に、米原さんに配色を依頼したことがありました。色を選ぶ際、例えばイタリア人に頼むと、ヴィヴィッドな色でもイタリア、ヨーロッパの伝統に基づいた色の方向に振ってしまうようです。エレガントになるように。米原さんが厳密に選んだポップな色の靴を発表したらイギリス人が反応して、「同じものを作ってほしい」という依頼が来たと言います。
そういうクラフトの世界はヨーロッパですら減ってきているようです。ステファノ・ベーメルはウィリアム・モリスから影響を受けていて、職人が工程をすべて一人でこなせることを基本にしていました。モリスはマルクスの疎外論の影響を受けていているわけですよね。ベーメルは、そうしないと顧客の感じが分からない、あと仮に職人の人数が増えてもうまくコントロールできない、その結果自分が納得できる商品がつくれなくなる。イギリスの大手ビスポークシュー・メーカーのように分業制にして、やる気の無いアウトワーカーに丸投げすると、バランスが悪くなるし顧客からまともにフィードバックも入らない。その結果疎外されるというようなことを言っていたと記憶しています。在りし日のベーメルと今の信國さんがやられていることは近いと思います。今はほとんどご自身ですべて手掛けられているんですよね。そういう尖ったクラフトの世界と、米原さんの尖ったポップ感覚との組み合わせは、それまで出会うことがなかったもので、当時は「なんだこれは」という感じだったと思います。
信國さんが今クラシッククロージングをするというのが非常に興味深く、その続きをお聞きしたいです。

photo by s koshino

 

信國 そもそも僕が〈ジョン・ガリアーノ〉に研修生として入り込んだのは、時代背景としては〈マルタン・マルジェラ〉がとても盛り上がっていた時代で、マルジェラとはまったく違う美意識を彼が持っていたからです。脱構築的なデザインのマルジェラの隆盛は、先ほど触れた東洋vs.西洋みたいなことで、いわゆるアメリカの『VOGUE』を中心とした西洋的ファッション美意識の沽券にもかかわることだったわけです。そこで投資家を見つけてきてガリアーノというスターで華々しく展開することで、ザ・アメリカン・ヴォーグ的な、西洋的なものを立て直そうとした。以前はクリスチャン・ラクロワがそういう位置にあったと思いますが。コム デ ギャルソンのような、それまでの価値観をぶち壊したものが一世を風靡し、流行した後に、突然現れた構築的なものに、とても新鮮な衝撃を受けたというか。つまるところ、それは彫刻性だと思います。服自体も立体感があり、そこには技術があるわけです。
僕が今、自分で縫っているのは、縫うのが好きだということではなく、実際にそのレベルのことを頼む人がいないからです。

 

菩提寺 サヴィル・ロウの歴史を僕の知る範囲で話して、信國さんに伺いたいと思います。一つは軍服上がりのギーブス&ホークス、法曹界に顧客が多いイード&レーヴェンスクラフト等のメーカー、もう一つは昔ハリウッドの人たちにトランク・ショーをやったり、王侯貴族を顧客としているアンダーソン&シェパード等のメーカー。両方のタイプの顧客をもつヘンリープールなどのメーカー。あと60年代にはロックスターなどを顧客としたトミー・ナッター。それらの流れや傾向は、今もまだあるのでしょうか。

 

信國 そこにも一つの”ねじれ現象”があります。僕は去年、〈トミー・ナッター〉の流れを汲む〈チットルバラ・アンド・モーガン〉というスタジオに修業に行きましたが、そこでも”ねじれ”を感じました。従来的なギーブス&ホークスやハンツマンの方が、実はクラシックな技術を今はもう省いてしまっているところがあったり、ビジネスとしての制服みたいなものを始めたりしている中、昔はアヴァンギャルドであった流れのスタジオが、古(いにしえ)のやり方を異常なまでの緻密さでやっている状況なんです。それがとても面白くて。〈ビートルズ〉がアルバム『アビーロード』のジャケットで着ていたデザインは当時はアヴァンギャルドだったけれど、今やそこにクラシックな部分があるというのが一つの”ねじれ現象”ですね。

 

米原 ストリートでも、今はびしっと髪を七三に分けている不良の子も結構多い。クラフトワークよりも七三なの(笑)。それから、コワイ人たちも不良もスーツを着出しているという現象がありますね。

 

――それは不良っぽいスーツの着方ではなく?

 

米原 ぴしっと着ている。それがコワサを引き立たせるんだって。つまり、その時代にないものはすごく目立つということ。信國さんが言っていることと多分同じ面だと思う。街の敏感な人たちは気付いているはず。日本の不幸は、ちゃんと明確に何故それが必要なのかを言っている場所も人もいないこと。

 

仲正 うん、そうですね。

 

菩提寺 日本のファッションの話をすると、80年代アルマーニ等のミラノ・ファッションが流行った後に、90年代に伝統的なクラフトよりのクラシコイタリア、ピッティウォモに流行が移った。日本では横浜元町の信濃屋、その後日本橋三越、大阪南船場のアリストクラテコ、エヴィスなどが輸入し始め、雑誌でも話題になり、だんだんそちらへシフト。ある時期からクラシコイタリアや仕立てのブームが始まったと記憶してます。ビームスが靴のビスポークオーダー会を始め、現在のジョージクレヴァリーの前身ポールセン・スコーンのビスポーク(J.カネーラとG.グラスゴー)を扱っていました。後のビスポークサンプルの中にアンソニー・クレヴァリーの靴があったのを覚えています。
ビームスは最初は輸入物のロメオジリの服とポールセンスコーンを組み合わせたりしてたかな。丁度ブルータスがグッドイヤーウェルトの靴特集を組んだ頃です。そこでは山本康一郎さんがスタイリングしていました。
信國さんの話を伺うと、現在サヴィルロウでは逆にモード的部分?を持っている、アヴァンギャルドなスタジオの方がクラフトよりの仕事をしているということでしたが、派手な色を使うオズワルド・ボーテングのような動きもまだ健在ですか?

photo by m bodaiji

 

 

信國 オズワルドはもう古くて今年もうお店がなくなるという話ですね。

 

菩提寺 じゃあ今は先ほどのチットルバラ・アンド・モーガンの流れになっているんですね。

 

信國 そこに〈マイケル・ブラウン〉という、いずれスターになるだろう人がいます。僕に思うに、彼が世界で最も構築的なスーツを作っています。

 

菩提寺 では日本の場合はその流行りがすっぽり抜けている感じですか。

 

信國 イタリア・ファッションもまた、ねじれているんです。イタリアン・ファッションも、本来は大英帝国の服に対してのある種のアンチテーゼ、ある種のカジュアル化だったと思います。それが日本人の目には、ヒストリカルでクラシックなもののように映っていたのではないかな、と思います。

 

菩提寺 ジョルジオ・アルマーニがバルバス時代に作った一つボタンはハンツマンの影響でしょうか?

 

信國 へえ、そうなんですか。

 

菩提寺 実物を見たことはないですが。そういうことなんじゃないかと思います。90年代のキトン、アットリーニ、ブリオーニ、イザイアなどいわゆるクラシコイタリアのブランドはナポリのサルトがやっているクラフト的なものを既製服に取り入れて、対モード、対ミラノ ファッションという感じでやっていると僕は認識していました。よってむしろ彼らはサヴィルロウには親近感のようなものを持っていると思っていました。もちろんイタリアの仕立てと英国の仕立ては全然違うので違うものですが、イタリアの紳士誂え服職人はサヴィルロウに対してはアンチテーゼを持ちつつも、一方では無視できないオーソライズされた存在と思っているのではないでしょうか。
話はもどって、それが今の世界の動きだとすると、信國さんは「記号のゲーム」から降りているが、最先端の流れに手を付けられているということですね、

 

――あえてクラシックをやられていますからね。

 

信國 技術的なものは日本にはまったくないんです。

 

菩提寺 信國さんは日本でもいろいろなところに修業に入られていますが、長々とはいないのは、やはり「違う」と思って次に動かれるのですか?

 

信國 そうですね、何か物足りなかったのでしょうけれど、今思うと過去に日本で学んだことについて、「あの先生は何故こんな偉そうなことを言ったのかな」という部分もありますね(笑)。

 

菩提寺 この仕上げは「昔からやっているからだ」と言われたけれど、イギリスまで遡って調べると違った、と話されてましたね。

 

信國 勘違いもいろいろありますね。

 

菩提寺 仲正先生が仰った、日本ではオタ芸とか、みんなで同じ動きをするという話と通じるところがありますか。

 

信國 そうですね。例えば、60年代にある技術を入れたら、その後はその先生のシステムのようになり、〇〇先生のやり方、××先生のやり方というように、エライ先生がたくさんいたわけです。でも、どれも本場イギリスのやり方とは違っていました。

 

――埴谷雄高と吉本隆明の「ギャルソン論争」についての話から発展しましたが、「欲望の肯定」という論点も出ました。前回のトークイベントの他力本願やSMの話にも繋がるようですね。完全に自分自身を他に委ねてしまうことは、実は主体を失くしているのではなく、完全に委ねてしまうことが本当は最も強いことだという議論でした。他力本願は信仰と結び付ているものです。信國さんも仰っていたように、吉本は「信」の問題を巡って親鸞思想の核心を論じていたと思います。また、「理趣経」は真言密教の経典ですが、どのように解釈するかという問題は、あるところまで修業しないと読み取れない内容というか、一般の人びとが享受できるような経典ではないというところで、ご指摘の通り要求される解釈のレベルがあるのだろうと思います。
埴谷の言うこともちょっと面白いなと思った面があります。内容そのものではないのですが。トークの冒頭で、マス対マスでは向い合えるけれども一対一で向かい合うことがなかなかできない、という話がありました。埴谷は嫌味たっぷりな文章で真っ向から吉本に向かった。前回のトークイベントで、仲正先生から、昔のアイドルは高橋英樹のように、骨格がしっかりとした男が多かったという話がありましたが、まさしくそういうイメージです。埴谷には今の男子にはないような骨太なイメージがあるな、こういうのを恰好いいと言うんだな、と思いました。
また、クラフトからテーラーの話になりました。デザインやファッションの記号ゲームから訣別して、信國さんは今テーラーとしてお仕事されており、今作られているのは1着数十万円という高価な洋服です。埴谷と吉本の論争――「あんなに苦しかった戦中の国民服等からファッションは楽しいという時代に来たのだ。それを楽しもうという趨勢になっている」(吉本)、「けれど、あなたの部屋にあるシャンデリア等云々」(埴谷)――に見られるように、アヴァンギャルドなギャルソンが、それほどお金を持てない人たちの、ある種の攻撃の対象、権威と見られるような面についてはいかがですか。

 

信國 例えばダライ・ラマ法王は〈ロレックス〉の時計をはめていますよ。

 

菩提寺 ”値段”というものについて、仲正先生に伺いたいと思います。マルクスを出すまでもなく、確か分業制をいったアダムスミスでさえ労働時間、労苦と価値の関係性を述べていたと思います。信國さんのように一人で採寸し、型紙をつくって、縫ってとすべて行っている場合は、労働時間と労力を大変必要とするわけです。おそらくギャルソンのジャケットは制作にそれほどの時間はかからないでしょう。

 

米原 今の話は、最初に話したSNSでの炎上の時に、僕の写真作品を見て「エロいヤツだ」とか攻撃してくる人もいたんですが、それとほとんど変わらない気がします。高いジャケット着ようが、見た目がどうのとか関係ない。でも、今の攻撃の仕方は、自分たちのイメージからズレているところを突くんです。僕については要は、「子供のことを語る人は、こんなエロい写真は撮らない」ということ。「ヘンタイ野郎」とか書かれましたよ(笑)。

 

菩提寺 前に僕が話した、テーラーにオーダーする時に何かを思い込んでしまって、決めつけてしまっている人達がいるというのと同じ感じですね。論理的に何かを考えようとか、ほんとうにそれでいいのかと他方向から考えるという気がない、できないということでしょうか。

 

仲正 埴谷雄高を個人として見ると、単に物の見方が古いだけなんですが、それに注目し、意味があると思う人がいるということですね。そうじゃないと、メディアは「論争」として取り上げない。欲望というものにヒエラルキーがあった方が、人は落ち着くんです。嫌らしい言い方だけど、値段は欲望のヒエラルキーを決める一つの基準になっているわけです。元々は服装は身分と連動していました。例えば紫は皇室に近い人ではないと身に着けられない、その次は黄色というように。そのようなヒエラルキーがあった方が、もちろん下の方の人間は腹が立つけれど、収まりがいいというか。自分は一体何者で、どんな人に従っていけばいいのか、ということが分かるという面もあるわけです。
通常、大衆は、上位が崩れてきて、今まで偉そうにして恰好つけていた人間が、自分とそれほど違いがなさそうな様子になると、最初は喜びます。しかし、あまりに差が無くなってくると、今度は自分をどうすればいいのか分からなくなるわけです。そこで次に、自分は周りの人よりちょっと違っていて、ちょっとセンスが良い人に見られたいと思い始める。いわゆる差異への欲望が目覚めます。ですが、目覚めた時には既に上っていくべきヒエラルキーが無くなっている。そうすると、無くなったものを何らかの形で補償しようという欲求が働き始めるのだと思います。それで、専門の領域を作り上げる。オタクはオタクで狭いグループを作り上げる。そういうものを土台にしないと、自分自身が上って行けないからです。壊しただけでは、収まらないんです。後になって、自分も本当は上って行きたかった、と気づく。ところがもう上るものがない。そうすると、それまで当然と思われていたような秩序とは違うようなものを求めだす。何か疑似秩序のようなもの、価値のヒエラルキー的なものがないかと探し出す。自分もそこに乗っかっていきたくなる。流行に群がる心理には、そういう面があると思います。

 

信國 服の場合は、作る時間によって価値が変わるだけのことで、それを買うか買わないかです。

 

米原 でも、ハイ・ブランドは「原価の5~10%で作れ」という話だったりするわけじゃない。他に約25%が宣伝費。それってぜんぜん原価になってないじゃん?

 

信國 値段と価値の乖離で考えると、ハイ・ブランドが作るパターン・オーダーが一番悪質ですね。ただ、その記号性を欲しい人は買えばいいと思います。僕が去年修業したチットルバラ・アンド・モーガンなんて、ほとんどの人が知らないです。でもそこに来る顧客には、1本25万円のパンツの同じ色を2本買う人もいる。それはそのもの自体の価値と自己満足ですよね。ただし、「このブランドを着ている」という自己満足ではなく、本当にクオリティを知っている自己満足です。

 

菩提寺 知っている人にとっては、ハイ・ブランドのパターン・オーダーは、高価だけど意味のないもの。特にハイ・ブランドにも、一応独自の型というものがあることもあるけれど、そうではなく他社製品の流行りを安易に模倣したようなものもあったりする。しゃれではなく。それを一緒くたにしている人は、知っている人から見ると知らないんだなと思う。裸の王様みたいということでしょうか。これらはユーザー側のことですが、信國さんからさっきあった作り手側のリサーチの話とも関係するのかな。
個人的な意見を言うと、労働時間と内容の面白さに僕はお金を払いたい。

 

信國 手が込んだものが存在し得る社会の方が健全だと思います。

 

米原 そこをちゃんと評価するという人たちの目もあった方がいいですね。

 

菩提寺 そのためには、ちゃんと見る、考える。その瞬間にただの思い付き、思い込みで安易に批判とかしてちゃ駄目ということですね。

 

米原 炎上に戻る感じ?(笑)

 

仲正 自分なりのライフスタイルを見つけられる人って、あまりいないと思います。炎上に集まってくるような人間は、自分なりの生き方のスタイルを見つけられないのでしょう。ああいうことをしょっちゅうしていないと、自分が社会の中で生きているという実感がないのでしょう。他の場面では自分がやっていることの手応えが感じられないのでしょう。手応えというものは、意図的に探し始めたらもう駄目なんだと思います。

 

――クレームというブランドにぶら下がってしまう感じでしょうか。

 

仲正 自分ではクレーム(言いがかり)をつけているつもりはなく、主張なんです。主張という名でクレームをしている。英語の〈claim〉には「主張」という意味もありますよね。本人たちはそんなこと考えていないでしょうが。第三者的に見ると非常にネガティヴなことをやっているけれど、本人たちとしては、分かりやすく言うと、「世界」
を変えたいんです。自分の生きている世界を変えたい。人はみんな、この世界の中に自分の痕跡を残そうとします。でも普通に生きていると、よほど目立つ仕事をしていない限り、痕跡なんて残せないでしょう。自分らしいことをやろうとしても、その自分らしさが見つけられない。だから何か目立つこと、人目を引くことをやろうする。手っ取り早くて、やった気になれるのは、大きなものをぶち壊すこと。そうしたら必ず痕跡は残ります。例えば東京都庁を爆弾で破壊したら歴史に名前は残るでしょう。でも、そこまでやる度胸がない。作る方で名前を残した方が恰好いいけれど、それはできそうにないから、度胸のない連中がネット上で集まってツイートしまくり、有名人の権威を落とすという一番安易なやり方に飛びついてしまう。攻撃している人間のワン・オブ・ゼムになってしまったら、意味はないけど、決定的なネタを投下するとか、自分のツイートをきっかけに火の手が上がれば、「一番槍」のような感じで記憶されるかもしれない。そういう淡い期待を持てる。

 

信國 文句を言うのは人間の性ですからね。相手がどうでも、発散したい人は好きなようにやっていますよね。

 

仲正 ああいうことをする人の気持ちは、多少は分からないでもないんです。私も学者をやっていて、「自分はこの世界に生きている痕跡を残せているのか」と思う時がふとあります。

 

米原 ヤンキーもコギャルもそうですが、高校時代にやるだけやって、「卒業しました」「いい思い出ができた」と言うんです。後はもう思い出の中で生きていく、という生活。今の話はそういう部分に繋がるかな。

 

信國 ド派手衣装で有名な北九州の成人式みたいですね。

 

仲正 まさにそうですね。

 

米原 自分が生きている証拠とか、自分は何者であるのかということが、今は無茶をする、壊すということでしか表現できないから、歳をとってそれができなくなった時に卒業するという考え方。僕は、「そのまま生きていけばいいじゃん」と思うの。ずっと固執し続けて何十年となれば、立派な芸になるはずなんです。だけど日本社会には、「やんちゃは卒業して、まっとうな大人になりましょう」という圧力がある。ファッションについてもそれは言えると思う。この年代ではこれを着れるけれど、それを過ぎるともう着れないとか。日本人でよくそういう話をするじゃないですか。すべてにおいて、すぐ”卒業”という話になる。100%イメージが合わないと、そこに関わっちゃいけない、その場所に居てはいけない、というメンタリティ。今の話のまとめとして、そう言えるかなと思います。

 

仲正 最近、友達を作れないことに悩む学生が増えています。私は「何故友達が必要なんだ?」と訊くんです。仕事だと思って話しかけろ、仕事なら嫌な人間とも付き合わないといけない、何故それができない? と。それでも、抵抗があるようです。そういう子と話してみると、本当の友達でないのにコミュニケーションしたふりをするのが、すごく嫌なんだと言うんです。「真のコミュニケーション」とやらを求め始めてしまうと、終わりはない。普通の人間はいい加減だから、「心の底から分かり合った」かどうかなんて、年がら年中本気で考えている人はまずいない。「本当に自分はこの人にとって必要とされているのか」と考え始めると、「私は特別じゃない」という結論に至らざるを得ないでしょう。今の学校教育では、特にゆとり教育が始まる前後から、「君には君の個性がある。見つけようと思えば見つけられるはず。それを真摯に追求していけば、周囲の人も必ず分かってくれるはず」ということが強調されてきました。70年代あたりから、メディアや教育機関、企業で、ずっとそう言われ続けているように感じます。そんな「個性」は多分見つからないでしょうし、真の理解者なんかいるはずない。そういう風に無理矢理思い込むとかえってきつくなるんです。炎上みたいな特殊な集団行動に加わると、何か自分の居場所、自分が他人と繋がれる場所が見つかったような気がして、瞬間的に満たされるのでしょう。

 

菩提寺 シモーヌ・ヴェイユの『工場日記』(講談社学術文庫)では、単純作業をさせられて労働者は嫌になっていると書かれていますが、僕の経験だけで言うと、単純作業をやることが好きな人の方が多いという印象があります。しかも予め行程が決められているようなもので。「自分で考えてやってみろ」と言われると、困る人の方が全体をみると多い気がします。たとえ高学歴でも。

 

仲正 そうだと思います。

 

米原 それは70年代から始まったと思う。60年代は、ヤンキーではなく不良。不良はずっと同じ姿勢で卒業しない。70年代に、ヤンキーという、”卒業”する人たちの存在が登場した。「個性を出せ」とか「君のキャラで生きていきなさい」と言われた時、ヤンキーになると個性を出した感があるでしょう。今の話を聞いて、不良ではなくヤンキーという、卒業する人たちの登場は、そういう教育を受けた反動なのかなと思いました。ヤンキーはまさに僕らの世代からなんです。それ以前は不良の先輩しかいなかった。僕らも「個性を出せ」とか言われていたな、と思って。だからヤンキーが羨ましかった。「ヤンキーっていいな、ヤンキーになりたいな」と思ってましたもん。

                                                                                        photo by yoko

 

 

一同 (笑)。

 

菩提寺 話は変わりますが、信國さんに伺いたいのですが、こちらが分からない差異によって作られているスーツやジャケットも少しずつ変化してきているということなんですか?

 

信國 はい。

 

菩提寺 今後、ご自身が作っていて変化する可能性はあるのでしょうか?

 

信國 そうですね。僕は今、根本をチットルバラ・アンド・モーガンのスタイルで作っているので、それを日本人に合わせていく中から、必要項として見つかっていくのかな、という感じはありますね。前ほどことさらに、「何もないところから自分のスタイルを作ろう」ということはあまりなくて、やっていく中から、ですね。先ほど触れた黒人のマイケル・ブラウンもチットルバラ・アンド・モーガンにいたんですが、同じことをやっていながら彼が作ると何となく微妙な違いから生まれる個性があります。

 

菩提寺 作り手も顧客と接してものを作っていく中で、意識しなくとも変化していく面もあるということですね。間主観性ということかな。

 

信國 これだけイタリアニズムに席捲されているし、僕も以前は影響を受けている部分もあったんです。そこにあるのはスタンダーディズムというか、その人っぽい体形というか、あまり誇張せずにその人らしさがいい、という感覚だと思います。でも今はそうではなく、もう少し盛った格好良さというか、その人に威厳を与えたりするものが欲しいですね。イギリスの服の根本にあるのは、僕が触れてきたデザイナーのアレキサンダー・マックィーンからジョン・ガリアーノまで、仕立てにかかわらず、そこにあるのはある種の盛った美学です。分かりやすく言うと肩パットの問題です。今これだけNGと言われている肩パットをもう一度復権させたいな、と。それも80年代的な有り様ではなく。自分はそれが美しいと自分は思っているので。「行っていいのかな」という微妙な気持ちがずっとあったのですが、それがやっとなくなってきたのが、ここ最近の変化です。

 

菩提寺 今日お話を聞いて、また僕も信國さんにお願いしたいと思います。オーダーの面白いところは、技術は当然、この人に頼んでどうなるか。面白くないケースもよくあって、僕の場合、そこで途絶える場合もあります。でも刺激を受けることができたときはこちらも頭が活性化された感じになる。

 

信國 着てみて何かちょっとフレッシュな感じがあればいいですね。

 

――トークショーに戻します。いろいろなところに話が飛びましたが、最初の炎上の話、差別の話、一対一ではなくマスからマスへの攻撃という話がぐるりと回って着地したという印象があります。

 

菩提寺 仲正先生に最後にお訊きしたいことがあります。この間先生と原宿を歩いていて、ビームスのスーツのお店を通って奥のギャラリーに行かなければならなかったので、「行きましょう」と言ったら、「いや自分が行くような場所じゃない」と仰られた。なぜ、そう感じたんですか? スーツが苦手なんですか?

 

仲正 スーツだからどうだという発想は全くなかったんですが、そんなこと言っていましたか…。

 

菩提寺 高そうなお店とか?

 

――先ほどの信國さんがギャルソンから追い出されたのと近い話ですよね。

 

菩提寺 いや、仲正先生は自分から退いているから。

 

――それを悟れるということでは? 少年の信國さんはあらかじめ悟ることができずに、お店の人から拒絶されたということなのではないですか。

 

仲正 それほど深い意味はなかったと思います。私は服については、ひどく破れて、裂け目を隠しきれなくなったら、仕方ないから新しいものを買うけれど、それ以上のことはしないので。そういう店に行っても、何も感じることはないかな、と単純に思っただけだと思います。本当にそういう言い方をしたら、ということですが。多分、僕が行っても仕方ないでしょ、くらいのつもりで言ったのを菩提寺さんが少し深読みしたのでは。先ほども話しましたが、ファッションとは、外部に対して「自分をどのように見せたいか」という欲望と多分セットになっているものだと思います。私は外部にどう見せるのか意識していないわけではなく、むしろかなり意識しているのですが、着ているものでそれを表現すると、「無駄に神経を使って嫌だな」、という思いは昔からあります。
自分で自分のイメージを作るという時、自分のキャパシティの範囲内で考えます。こことあそこくらいであれば自分の見え方をコントロールできるけれど、その範囲を超すとちょっと難しいなというのが誰にでもあると思います。何となく守備範囲というか、強い防衛ラインのようなところと、どうでもいい、という部分を分けている。多分狭い意味でのファッションは、私にとっては弱くしておいた方が都合がいい領域なんです。武装しないでいい領域。
先ほどの話とも関係しますが、人はあらゆる分野で自分を際立たせることはできないので、自分の強い領域を作っておいて、そこにエネルギーを集中しようとしますが、それが見つかった人は幸運なんです。今は多くの人が、「ここなら自分が勝負できる」「ここならば他人と違うところを見せられる」というものを見出しにくくなっているのでしょう。前近代社会であれば、そんなことは必要なかった。みんな制服を着て、同じような生き方をしていて、そこから外れる必要はなかったわけです。今はほぼ不可避的に就職活動をしなくてはなりません。就職活動自体にはフォーマットがありますが、ゴールは全く不確定。就職用のエントリーシートを書く時、横並びではないことを書けと言われますよね。横並びの様式に、横並びではないことを書け、と。

 

――仲正先生は大学に就職活動をする時、どんな格好をされたのですか?

 

仲正 本当に面接まで行ったのは多分2ヶ所だけだったと思いますが、普通にスーツを着ていきましたよ。

 

一同 おお!

 

仲正 別に驚くことではありません。スーツを着ないというこだわりがあるわけではないので、着ていかないと問題が生じるかもしれないというのが定番の常識になっていれば、着ます。その時のスーツをまだ持っているはずです。NHKの番組「100分de名著」で、ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』について解説した時に着ていたものが、それだったのではないかと思います――その記憶に自信はありませんが。着ているものには力を入れないけれど、でも、自分を際立たせないといけない時ってやはりありますよね。この歳になると、自分より年上の人は職場にあまりいなくなっているので、普段気を使わないで済むようになっていますが。
先ほど言いかけましたが、今の若者にとって一番の矛盾は、エントリーシートという非常に画一的なものに、個性を表現しろという無茶苦茶なパラドクスを突き付けられていることです。画一的な枠を決めておいて、自由な余地はかなり少ないはずなのに、「自分らしさを表現しろ」と言われる。彼らは何をしたらいいか分からない。個性を際立たせるにしても、何をしたら「個性」と認められるのか分からない。そういう矛盾があまりにも大きくなって、適応できない人間が増えていると思います。

 

米原 90年代にコギャルの雑誌『egg』を作った時のことです。普通の子たちが何故コギャルの格好をするようになるかと言うと、それまでお母さんの言うことに「はい」としか言えなかったけれど、コギャルの格好をすると「イヤ」と言えるから、という子が多かったんです。形が変われば自分の中身も変われる、と。夜、遊びに行けなかったけれど、コギャルの格好をしたら行けるようになったとか。そういうことですよね。

 

仲正 そうですね。誰かが「これをやったら君の個性になるよ」と教えてくれれば楽になるんでしょうけれど、そういう便利なことを誰も教えてくれない。でも、自分らしさをアピールしないと、サラリーマンさえできない、と教えられている。60年代以前の画一的な教育と、「個性を出せ」という教育を、同時にされているわけです。

 

――その話はちょっと分かります。例えば僧の格好をしていない限り、人の家に托鉢には行けませんよね。
私が仲正先生と初めてお会いして驚いたのも、その服装だったんです。その服装に私は仲正先生の強さみたいなものを感じました。強さとしか言いようがないのですが。最初にお会いしたのは新宿の高層ビル街の近くでの講義だったので、近くのホテルに宿泊されていて、ルームウェアのまま出て来られたのかな、と思ったんです。でもそうではなく、いつお会いしても必ずご自身のスタイルを崩すことがない。私はそれに「ただ者じゃない!」と感じたんです。ご自身は意識されてないと思いますが、私はそこに恰好良さを感じました。

 

仲正 それはあまり大したことではないと思うけれど。一つあるとすれば、統一教会の信者だった時に物売りをしていた経験です。個人の住宅に珍味を売りに行くだけで、それまで内気で、人付き合いが苦手な高校生だった私の生活感覚からすると、信じがたいことだったのに、商店街にも売りに行けと言われる。場違い感が半端ありません。売れなくて駄目な信者だったのですが。その他、勧誘とか街頭遊説とか、いろいろ変わったことを経験しました。そうした経験のお陰で、托鉢の話ではないけれど、普通なら特別な恰好をしないとできないことを、普通に近い格好でやっていたので、意外といろいろなことが平気になりました。

 

菩提寺 目立たないようにしているとのことですが、僕からするとすごく目立ちます。ただ、仲正先生は清潔好きで、しっかりと洗濯されていますよね。それでものすごく着込む。普通はジーンズは着込んでも、ポロシャツは着込まないし、チノパンもそんなにボロボロになるまで着込まない。その上無造作だから、ポケットが出しっ放しになっていても平気。ボールペンを芯を出したままポケットに入れているから、インクの筋がばーっとズボンの生地に付いている。

 

――ダンディズムですよ。そういう意味ではギャルソンを超えているなと思いました。

 

菩提寺 余計なことをやらずにストレート。徹底してやるのは現実的には難しく、なかなかできないことですね。

 

仲正 芝居に出演するのが全然恥ずかしくなくて、平気なのも、感覚としては同じなんです。みなさん、度胸があるねとかいうんですが、私としては大学の授業と大差ありません。多分、ちゃんとした理由があれば、全裸で演技することもできるでしょう――スカトロだけは、周りの目がどうというより、自分の衛生感覚からしてダメですが。自分はこういう立場のはずだから、こういうことはできない、という既成観念はあまりなくなっていますね。

 

――仲正先生からちょっと激しいご発言がありましたが、最後に信國さんに質問です。信國さんから先生の服をご覧になって、どのような感想、印象を持たれましたか?

 

信國 僕と共通する部分があります。それは僕の妻がよく知っていると思います。僕が今着ているきちんとした服とかは、カモフラージュという意味があって。作ることはやっていますが、自分自身では本当は服で見せるということには興味はないんです。だけどこういう職業なので。服を作るのは好きで、美しい服は本当に好きなんですが、自分自身のものにはそれほど頓着がないんです。

 

米原 プライベートの時とかすごいもんね(笑)。

 

――先ほどの仲正先生の、仕事だと思って隣の人とコミュニケーションをとってみるというのと近い話ですか?

 

信國 そこまでではないですが(笑)。

 

――最後に会場からご質問はありますか?
では、指名させていただきます。信國さんのパートナーのアキさんは?

 

「質問というか感想というか、本人が言ってましたが、彼は本当に着た切りスズメなんです(笑)。気に入ったものをずっと着続けて、ボロボロになって捨てるということの繰り返しです」。

 

――日本人のメンタリティの話もありましたが、米原さんと仕事をされているWangさんはご質問や感想はありますか?

 

「中国では、ファッションについても、アートについてもそうですが、情報がまだ多く入っていないんです。信國さんのような人が自ら行って自分の作品を広げるというのはすごく大事なことだと思います。僕は日本に6年間住んでいますが、ますます感じるのは、中国と日本はお互いに知らないということです。僕自身は今は雑誌をやっていますが、ファッション等を通じてお互いのことをよく知るようになりたいな、と思います。
質問が一つあります。最近のファッションに関して、ハイ・ブランドとストリート・ブランドのコラボが結構頻繁にやられていますが、それについて皆さんはどう思われているのでしょうか?」

 

米原 原価率はさらに低くなっているよね。

 

信國 それはありますね。

 

米原 本当にイメージだけの世界。

 

「昔からそういう動きはあったんですか?」

 

信國 僕は元々ストリート上がりなんです。スケボーとかもしていた人間で。ちゃんとしたデザインをやり出した時に、それが強みだと思ったので、そういうミックス感は当初からありました。今の有り様は新鮮だと思いませんが、ただ「こうなるだろうな」と思っていました。理由が一つあります。ある時から〈ジバンシィ〉はストリート色が強くなりましたが、それは向こうでのお客さんはゲイの人が多かったからなんです。ただ、それを日本に輸入する際には、持っていきようがなかった。でも僕は、これからオジサンがだんだんストリート化していくだろうな、と予測していました。その流れになってきていますね。今度のルイ・ヴィトンの〈シュープリーム〉とのコラボもそうですが、ラグジュアリー・ブランドと言われるものは、一旦全部ストリート化するだろうな、と思います。

 

米原 今、新宿二丁目にいる人たちは基本的にストリートの格好しているよね。ゲイの人たちは若い子たちのブームに敏感だから、その方向に行くのは必然だよね。ストリートが流行った時、ゲイの人たちが一斉に僕みたいな恰好になったの。だから俺は絶対ウケるのよ(笑)。

 

一同 (笑)。

 

菩提寺 Wangさんに質問があるのですが。中国でも一般的に、こういうブランドを着ているとこういう考え方の傾向を持つ人だ、という認識はありますか?

 

「あります。僕は6年間離れていますが、中国の友だちに聞いた話では、今はシュープリームがすごく流行っている、ということでした。ただ、6年前に僕がまだ中国にいた時は、東北地方ですが、一番流行っていたのは〈Y-3〉でした。Y-3を着ている人たちは、似たような感覚を持っていたと思います」。

 

菩提寺 紳士服はヨーロッパの影響をどうしても受けやすく、最終的に仕立ての方向に行く傾向があると思うのですが、中華系の人たち、例えばシンガポールでもそこに拘る人たちが出てきています。中国ではそういう動きはありますか。

 

米原 今の話は、僕らの世代で、ギャルソンを着ている人たちの性格は大体似ていたということと同じだと思う。一般的な人たちの中でY-3を着るということは、80年代に僕たちがギャルソンを着たように、意識して着ないときれないわけだから。

 

菩提寺 中国でもいずれは仕立てに拘るようになりそうですか。例えば西洋とは異なる感じのビスポークとか。

 

「一つ思うことは、今は情報が相当足りていない部分があるので、ヨーロッパやアメリカのファッションやカルチャーが直接入るのは、なかなか衝撃があると思います。日本を経るのが一番いいパターンなんです。日本で、西洋と東洋のカルチャーやファッションをブレンドした後に、中国に輸入するのが、多分一番受け入れやすいと思います。」

 

米原 ただ、それは少し前までは日本を好きな人たちだけがやっていたけど、今はネットでの伝達状況が早いから、そもそもから中国で流行っているものだと思っている人たちが圧倒的に多いでしょ。シュープリームが日本経由で入ったなんて誰も思っていないし、「日本に来れば安く買える」と思っている人たちの方が圧倒的に多い。そうなると、そういうことを意識している人たちはどんどん少数派になる。先ほどの信國さんの話と一緒で、その周りを囲む無意識の人たちが圧倒的に多くなった時に、今後中国のファッションがどうなるのか、僕は知りたいな。今話しているような方には決して行かず、「流行っているものがいい」という感覚。日本も同じでしょ? 「流行っているものが断然いい」と一時なったじゃない。ある部分では今もそうだし。中国もそうで、今は「流行っているものがいい」というところに邁進しているからね。

 

信國 そこから中国の川久保玲なり山本耀司みたいな人が現れるかもしれませんね。

 

米原 そうそう、それが出てくると面白いよね。だけど、中国は徹底的に合理主義だから、面倒くさいものは基本的に嫌うので、「これが流行っています」という処にピッと乗るという考え方が全般的にはっきりあるよね。

 

「あります」

 

米原 何ヶ月もかけて洋服を作っていくとか、そういうのは性格からすると面倒くさいよね。

 

「そうですね」

 

信國 僕は直接会ったことがないんですが、中国の20代、30代のすごい若い世代で仕立てに興味を持っている人たちがいるようで。彼らもちょっと変わっていて、日本にシュープリームを買いに来る人たちのように、世界中のすべてのテーラーを周って服を作っている人たちもいるようですね。

 

菩提寺 90年代、0年代の日本人にもすべてとまでは言わないけれど、そういう人がいましたね。30から50歳位だったけど。今後は中国の20から30歳台くらいの人たちから面白いもの、面白いやり方が出てくるかもしれません。

 

――では、課題はまだ残すところですが、今日はお開きにしたいと思います。どうもありがとうございました。

 

一同 ありがとうございました。

 

信國太志×米原康正×仲正昌樹×菩提寺伸人(菩提寺光世 司会)|2018.08.20

2018.8.20 投稿|