私は他者の他者性への〈迎え入れ〉を行う。――私は、他者の侵入が私自身の自己性に先行した限りでしか、私自身への私の〈自宅〉への関係を持つことができない
『言葉にのって』ジャック・デリダ 森本和夫訳 ちくま文庫
猛暑を超え酷暑と呼ばれる日が続いた夏、台風クラスの大雨と休日が重なることが何度かあった。そのうちの一日に、〈ロスト イン トランスレーション〉を自宅でみた。雨の日は自宅にいることが多い。雨の我が家はとりわけ居心地が良い。吉田桂二が〈風景を内包する家〉と名づけたこの家は、雨の音も風情も好きだと言った私に、坪庭を取り囲む家屋の内側には屋根から落ちる線状の雨を楽しむために雨樋を設けぬ意匠が施された。
「住宅のデザインから、インテリアだけをとりだして考えることは間違いである。内部と外界は表裏一体をなし、それらを支える構造計画、内部の間仕切、室内気候、設備計画、そのすべてが統一され、均衡されてこそ、はじめて快適な環境、すぐれた住宅として解決がある。」『内から外へ、外から内へ』 戎居研造 建築文化194号 Dec.1962
ソフィア コッポラ監督〈ロスト イン トランスレーション〉は、主人公がパークハイアット東京内部を軸として外界TOKYOと交錯するストーリーである。異邦人である彼女は桜のモビールを天井に吊るし宿泊室内を装飾する。高層階の窓辺に腰掛け、遠くまで広がる東京を見下ろす。モビールの桜は彼女がイメージする日本的なものの象徴である様子。先が見えぬほど遠く下方に広がる無機質な都心を眺めながら、天井から吊るされた人工の桜の花びらが揺らいでいる。ロックミュージシャンを撮るフォトグラファーである彼氏に連れ立って東京に来たものの、イメージとリアルの溝を埋められずにいる。異空間に置き去りにされた気分のままに、日本のイメージを追うように東京の街を歩き、京都の日本庭園まで足を延ばす。寺を訪れてもピンと来ない。現実をどこか消失してしまっている。ホテルで開催されていた生花教室に手応えを感じ恋人に伝えようとするが、取り合ってももらえない。コミュニケーションが上手くいかないのは、外国語だからというだけではなさそうだ。同じホテルに滞在中の世界的に名を挙げる俳優も似通った状況であるようだ。ウイスキーのCM出演の仕事で東京に滞在している彼だが、到着直後から通訳者を介しても通じる実感が全く持てない言葉の壁に、始終苛立ちを覚えている。エージェントに訴えても宥められるばかりで意に介してもらえない。妻との電話も意思の疎通が取れない、無味乾燥な意味のない言葉の往来に終始するだけだ。なんと言えば相手に伝わるのか、伝達する術もなく、言葉は発すると同時に消失し届かない。彼が爽快感が味わえたのは、ひとりゴルフ場で富士山に向かってショットを決めた時。彼女は、ガラス窓越しにそびえるケルン大聖堂を想起させるゴシック建築さながらの都庁舎を背にプールサイドに立つ瞬間。三つ並んでそびえ立つ新宿パークタワーのうち一つの高層部、ガラスのピラミッドが天に向かって切り込むような外観意匠のプール階は、その極めて特徴的な外観をそのまま内部デザインに落とし込んでいる。都庁と兄弟のようなこの建築物は、共に丹下都市建築設計によるものである。両者は呼応するように新都心の都市設計を果たしている。ひとりっきりの空間において以外、コミュニケーションから外された孤独を感じる二人が共鳴し合うのは、ごく自然な成り行きだった。
もう一つの主な舞台は、渋谷駅近辺の夜の街である。ふたりで繰り出した夜の東京は、メインストリームからは少し離れた、しかしメジャーを牽引する熱をたぎらせたマイナーカルチャーを背景にもつ勢いあるシーンに溢れんばかりだ。飲み屋街を駆け抜けるサバイバルゲームばりの追いかけっこも、カラオケも、乗りに乗ったフリだけにその後の虚無感は拭えない。猥雑な喧騒が入り乱れる夜の雑踏に、浮いてしまっている自分がある。それを共有しているだけに二人の距離は近くなる。対話によって相互理解を深めているわけではなく、言葉を介さないところで理解できる何かを実感してゆく。アンビエントとしてのロキシーミュージックとはっぴいえんど。
この映画の唯一の共通言語は、意味を持たない「Suntory Time」の一言だろう。CMの決め台詞である。それが際立つのは、毎夜のように繰り出すニューヨークバーでの給仕とのやりとり。他人のテリトリーに侵入しない距離感、置き去り感を持たせずに場を離れ、呼吸のタイミングで戻るウエイターとの軽快に行き交う会話。内容に重きは置かれない。しかしそこに贈り答える会話を感じ、来訪者である彼が、ウエイターのある種プロのホスピタリティにあきれ驚く表情を見せる。二人が唱和する。「It’s a Suntory Time!」
ホスピタリティを考えるとき、多くの人々が「もてなし」で表される意味をイメージするところ、私は侵入するものに対し迎え入れをするのか、またはどうするのかと立ち止まってしまう。デリダとパゾリーニのせいだろう。冒頭の引用文は、パリ講義の「歓待について」に問われた際のデリダの応答である。またパゾリーニ「テオレマ」は、突然の来訪者を自宅に迎え入れたことから主客≒主従逆転が始まり、遂には家族がそれぞれの人間関係、社会的地位、財産の全てを失い、崩壊していく映画である。HOSPITALITYの語源はラテン語hostis(他人、敵、異邦人)とpotis(能力、可能な)の合成語らしく、古くは外傷を負った兵士のため、また巡礼者の旅籠として医療や宿泊施設を提供するキリスト教中心に形成されたものがホスピタルティ文化と言われている。異邦人や敵を歓待することで、自分のコミュニティーを攻撃から守る風習は、キリスト教に限らず他の宗教や風習においても多く見られることなのだろう。いずれにしろホスピタリティから受け取る自分の立ち位置は、決して人に寄り添うものではなくむしろ対峙に近い。
先日、ホスピタリティを改めて感じる出来事があった。
夫を通じ友人になった整形外科医がいる。他大学病院などから匙を投げられた患者が最後の砦として彼の元にやって来る。再起不能と言われた冒険家を、日常生活を回復させるためではなく、冒険の地へと戻すために再生させる。「痛みを身体に記憶させないと、再生がうまく進まない…」彼の話はいつも興味深い。その彼に大変世話になることがあり、返礼として〈梢〉に招待することにした。〈梢〉でなければならなかった理由は、まずは〈梢〉でなければ引き受けてくれそうにもない難題があったからだ。アニサキスアレルギーになったと聞いたのは、つい先日のこと。京都生まれ、ぼんぼん育ちの食いしん坊が「これで日本食はほぼあかんなぁ」と嘆く姿は忍びない。アニサキスのアレルギーなのだからアニサキスが死んでいてもアウト。ならばどうしても日本食を食べさせたい。あれこれ考え〈梢〉へ相談に赴いた。幾度かの確認を電話でした際、大変なお願いをして申し訳ない、と料理長へ伝言をお願いしたところ「問題ありません。料理長はこの手の難題に燃えるタイプですから」という。あの整形外科医にこの料理長あり、私の選択にも間違いはないと確信した返答だった。出された料理の一皿に私の心配が及ぶと、調理食材にアニサキスが生息するかどうかに留まらず、アニサキスの生態にまで及ぶ知識に裏づけされた回答が戻ってきた。万が一にステロイドや注射薬を携帯している彼も、その説明を受けてからそれぞれの仕事の話に弾みがついて、18時に合流した私たちがホテルを出たのは誰もお酒も飲まないにもかかわらず23時を遠に過ぎていた。
彼らは寄り添ってではなく、向き合って仕事をしているように見える。他者を迎え入れ、自分の仕事を提供する時、ヒューマニズム的なものに埋没する余地を感じさせない。吉田料理長は仕事を遂行するための研鑽や労を惜しまない。整形外科医は追求して考えなければ「気持ち悪い」と言う。ホスピタリティは彼らにとって、他者のレスポンスに依る自分自身の研鑽、精進を指す言葉であろう。翌日、「おもたせしてくれた鮎の炙り焼き炊き込みご飯のおにぎりが美味しい」、とメールがあった。おにぎりは包まれた笹の香りがついていた。
そう云えば、戎居研造は京都から帰って来ると笹に包まれた鯛寿司を土産にするのが常だった。吉田桂二も戎居研造も今はもういない。しかし彼らが依頼者にどのように向かい合い応えていたか、私たちはその痕跡を辿り、そして私たちを次の記憶に残すよう応えたい。
「人間の生活のなかで、外的な自然や社会に対して、住宅が内的なものであるとするならば、われわれこそインテリア・デザイナーであると思っている。」
『内から外へ、外から内へ』 戎居研造 建築文化194号 Dec.1962
菩提寺光世