パーク ハイアット東京が設備の老朽化に伴い大規模なリニューアルに入ると知らされたのは、レストランのいつもの席で夫と昼を過ごしていた時のことだった。私たちが気にいるこの席は、ヨーロッパを横断する列車のコンパートメントを思わせる二人だけの小さな空間をこしらえてくれる。それでいて廊下奥はライブラリーと接しているので、図書館の一角に設けられているようにも思うのは、手のひらに入るほどの小さな、幾つものエクスリブリスがひとつづつ額装され飾られていることも一因なのかも知れない。設えや装飾のどれひとつを外しても、この空間とならないと感じるほどに、ひとつが全体に繋がる計算がしつくされている。以前、完成困難なJohn Morfordの意向が完璧に反映されている、と聞いたことがある。ライブラリーの書棚には読書好きが考え尽くした配列で、開いて読みたくなる本が並んでいる。知っている本も初めて見る本も書き手や作り手が丹精込めて読み手に届けようとしたことが伝わる丁寧に作製された世界各国の本の数々。決してインテリアとしてだけではなく、芸術分野に精通した本好きが納得のゆくまで時間をかけて書棚に一冊一冊並べたに違いない。
一度、私の誕生日にホテルからのサプライズでディプロマートスイートに通して下さったことがあった。夕食の席で記念にと撮って下さった写真の顔が上下に激しくぶれて、光線が尾を引く流星のように顔に流れ歪んだ。誰もが認める失敗作だった。しかし違った。Francis Baconの絵画を連想させる写真を面白がった私は、早速客室の書棚を探した。その画集は直ぐに見つかった。写真はBaconを介し、あの夜の部屋のすばらしさと安心しきった温かい記憶に繋がる。そんな具合の書棚がある。国内に最高級を競うホテルが数多く出現するなか、パーク ハイアット東京が私の特別でありつづけているのは、このような細部の一つひとつなのだろう。
そのパーク ハイアット東京が大掛かりなリニューアルの為一年近く閉館すると言う。リニューアルによって今はもう流行りの一つとなったラグジュアリーホテルに迎合し、埋没してしまうのではないか、胸がさわさわとする。親しんだ風景がなくなる胸騒ぎ。ステファノが逝ってしまって10年以上が過ぎた今、毎年訪れていたフィレンツェに行けなくなってしまったのは、彼が居ないその風景を想像するとざわめきがつきまとうから。彼の家族からは再訪を幾度と誘われながら今も実現しないでいる。
Stefano Bemerはこのホテルが大変な気に入りようで、彼が好んだ席はこの小さな席ではなくて窓際寄りのボックスシート。私の席から、ステファノがかつて座っていたボックスシートが見える。いつもアラカルトを注文するのがステファノ流で、ペンネと時々のポタージュかオニオングラタンスープを満足気に食べていた。私たちがこの席が好きなのは、あの頃のステファノをここから眺められるからかも知れない。
必ず送り迎えしてくれた空港も、並んで歩いた通りも、決まって注文したビステッカ・フィオレンティーナももう彼が此処(フィレツェ)にはいないことを確認させられるようで行くことができない。そのくせ今まで以上にパーク ハイアット東京のレストランを訪れてこの席に夫と向かい合って座るのは、向こうに見える先にあの頃のステファノを見てるからなのだろう。レストランマネージャーに、リニューアルと共にこの席がなくなると喪失感を覚えそうだ、と言うのも厚かましく思えて、ジランドールのカレーの味を創業以来ずっと変わらずに維持し続けられていることが嬉しいと伝えた。話しているうちに、変わっていないはずはないことに気づいた。シェフは何度か変わったし折々に手に入る食材も作り手も給仕方もリネンクロスも変わっているはず。
「変化し続けているから変わらない、変わらないために変化を続けると言うこと」私の問いかけに、もう一度その問いかけをそのままご自身で復唱し、時間をおいて回答された。「その通りだと思います」、とまっすぐ見据えて目の奥で頷かれた。
少しずつ手をかけてはいたけれど、我が家もそろそろ改修時かも知れない。連合設計社、吉田桂ニの日本家屋の趣きとモダニズムを考え続ける戎居連太の合成感による我が家は大震災や強風にもダメージを受けなかったが、時間の経過だけは抗えない。
その後ステファノのスタッフは店と共に新しいオーナーのもとに移った。さらに店は世界的に展開され、ニューヨークでもブランドが認知された。2012年Stefano Bemer が急逝して以来、ビスポーク靴はもういい、と思っていた。数年前からMarquess の川口さんに靴を作ってもらっている夫から君のも頼もう、と勧められ「もういい」と言い続けていた私ではあったけれど、出来てきた夫の靴を見て最終的に注文をすることに決めた。仮縫いから暫くした後、素晴らしいスモールクロコがふたつ手に入る、と連絡があり、彼の革の腑の取り方がいかに美しいかを既に見ていた私は川口さんが良いと思うものを作って欲しい、とだけお願いした。川口さんから「菩提寺さんたちの靴を受注するのは、僕にとって勇気のいることでした。ベーメル氏との関係も知っていたしbespokeを知っている人だと思っていたからです」夫が出来上がった私の靴を見て、「川口さんはさらに、その先へと上達している」と言ったその返答は「今の自分が菩提寺さんたちの靴を作れたことが私にとっても幸運」だった。技術も鍛錬されるなかに変わらぬ質がまず継続され、更新される。初めて川口さんにお願いした靴は、左右の足それぞれのセンターから両側へ地に向かって流れ落ちる曲線がスモールクロコのシャープな竹腑線とぴたりと重なり、華奢なサイズを感じさせない地に足が着いた力強さから繊細なエレガントさが現れてくるような、静寂ななかに相反するものが共在しひとつをなすような、一足だった。
この靴となら、わたしはどこまでも歩いていけるはず。と、一日歩いたそのあとで、Marquessの川口昭司さんにお礼のメールを送信した。
ステファノが創った靴にもsilenceがあったと思う。
「リフレイン
単一のプロセスのなかに多くのものを含み込み、対立するものがあったとしても、それらを一つにまとめる行為は、良い人生のあり方につながる。」
Silence John Cage / 『サイレンス』ジョン・ケージ 柿沼敏江訳 水声社
菩提寺光世
*靴の写真提供 川口昭司/S.Kawaguchi MARQUESS