cameraworks by Takewaki
仲正昌樹+米原康正+菩提寺伸人トークセッション (司会進行:菩提寺光世)
2017.12.10 @連合設計社
一部変更、訂正を加え増刷二版目の書店販売を開始いたしました。現在二版目は阿佐ヶ谷ネオ書房で現物在庫があることが確認されています。(2021/7/7更新)
※少量生産本でもあり現在流通が不安定な状況で、大変ご迷惑をおかけし申し訳ありません。
5月中旬発売、早々ご好評頂き、もう既に出版元の在庫も数える程となりました。ありがとうございます。今現在、重版の予定は決まっていませんので、ご興味のある方は下記書店などでお早めにご購入ください。(2021/5/22更新)
現在新宿のブックユニオン、くまざわ書店武蔵小金井北口店、紀伊国屋書店新宿本店、新宿の模索舎、ジュンク堂書店池袋本店、ブックファースト新宿店、神保町の小宮山書店に現物在庫があることが確認されています。 (2021/5/21 更新)
書籍『東京80年代から考えるサブカル』(図書新聞社)が刊行されます。
5月13日〜14日に神保町の小宮山書店、新宿の紀伊國屋書店、ブックファースト、ブックユニオン(ディスクユニオン)等で販売されます。
――このトークセッションを企画したのは、80年代辺りのサブカルチャーを中心にカルチャーを語ろうという意図からです。80年代カルチャーについての書籍等は多数出ていますが、どうも当時を過ごした私たちにとって違和感を持つものが多かったりします。また深く掘り下げられず出来事の羅列だけで終わっていたりと。あの頃のカルチャーが実際にどうであったのか、その現場を知る当事者の話から。そして思想的なものがそのカルチャーに反映されていたのか、それともいなかったのか。もちろん、カルチャーシーンで意図的に当時の現代思想に則してやってみようという動きはなかったと思いますが、後々考えてみると、このような思想的背景があったのではないかと掘り下げていくことができるのでは、と思っています。
現場と言っても数多くのあらゆるシーンがありますが、意外な組み合わせにしたら、インプロヴィゼーションのような緊迫感あるセッションになるのではないかと思い、本日は米原康正さんと仲正昌樹さんをお呼びしました。そしてお二人を話しを繋ぐ役回りとし菩提寺伸人が加わります。
菩提寺 あまりあり得ない組み合わせです。予定調和が全くない。しかも打ち合わせもまったくできない状態で始まります。うまく行けばすごく面白い話になるかもしれない。うまくいかないかもしれない。今日、僕自身は精神医学のことではなく主に音楽関係の話しで繋いでいこうと思います。とりあえずやってみようと思います。
――簡単にお2人のご紹介をしておきます。
大変お若く見えますが、年齢順に米原康正さんからご紹介いたします。
80年代から大変活躍されている方です。ナイロン100%でバイトして、最初は雑誌の編集者、ライターとしてスタートされ、多岐に渡る交友関係を築かれ、アイドルを作るという方向に向かい、近頃巷の紹介を引用すると「世界に日本を発信し続けるストリートシーンのややこしいジジイ」です(笑)。
米原
米原
菩提寺
米原
菩提寺
菩提寺
米原 仲良しが創刊号の時から関わっています。80年代にナイロン100%の店長だった中村直也が『東京モダンスポット2000』という本を作り、その後に『ラジカル・スケーター・ブック』vol.1,vol.2を作ったんですが、その時のライターが僕と高木完と藤原ヒロシ。その本では、今では当たり前になっているけど、街で本当にカッコいいと思ったヤツを載せたんです。
菩提寺
米原
菩提寺
米原 その頃は僕は野々村文宏と仲良しでよく遊んでいましたね。
菩提寺
米原
米原
米原
菩提寺
photo by M Bodaiji
米原
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菩提寺
米原
菩提寺
米原 『egg』をやっている時にびっくりしたことがあるんです。田舎でコギャルみたいな子を見つけていろいろ話を聞いたんです。彼女は〈アンダーカバー〉のTシャツを着て、下はコギャル風のスカート。それで「これ、東京で流行ってますよね」と言う。確かにアンダーカバーも流行っているし、コギャルの短いスカートも流行っているけど、「その組み合わせはまずない」と言ったら、「えー? これが東京じゃないんですか」。その子たちからすると『egg』と『CUTiE』が同じ次元で東京で流行っているものとして受け取っていたんです。僕が東京ではパンクが全盛だと思っていたのと同じように、彼女たちはアンダーカバーも『egg』の格好もすべてフラットにして「東京で流行っているもの」という意識で受け取っている。メディアは、アンダーカバーを着ている子やコギャルを選んで写真に撮る。すると田舎の子たちは、「東京にはアンダーカバー着たコギャルが普通にいるんだ」と思って、さらに派手になっていくという現象が起こる。僕は原宿にずっと住んでいて、かなり感じます。「この原型は東京にないじゃん」というものが多々ある。
菩提寺
米原
菩提寺
仲正
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仲正 私の経歴的なことを話しておいた方がいいかも知れません。
私は81年に東京大学に入ってすぐに統一教会の学生グループである原理研究会に入会しました。統一教会には29歳まで計11年半いました。だから当時のサブカルについては、世の中にこういう動きがあると何となくは聞こえてくるけれど、自分たちとはあまり関係のないものだった。住んでいたのは東大駒場寮や、当時渋谷にあった「世界日報」という統一教会系の新聞社の建物だったので東京の中心地にいたけれど、世の中の動きとあまり関係のない生活をしていたんです。
先ほどオカルトの話が出ましたね。これは一つの傾向だと思いますが、統一教会が大きくなった背景として、
――統一教会は左翼的なものと戦っているというイメージですが、そこから入って来る人が多かった、と。
仲正
仲正 そう、自分は弱い人間だから東大に入る。学力で武装するしかない。宮台真司さんは、ほんとのエリートは東大みたいなものに固執しないという言い方をしますが、そういう気概がある人は80年前後の東大生にはほぼいなかったと思う。そういう意識を持っていたとすれば理Ⅲのごく一部でしょう。
――先生はどうして東大に入られたんですか?
仲正 まさにその彼が言った通り。弱い人間で社会性がないので、東大にでも入らないと通用しないと思っていたからです。
――高校生の時からそう思っていたんですか?
仲正 ずっと思っていました。世間的にもそのような風潮がありましたよ。
――社会性がないというのは?
仲正 本にも書いたことがありますが、私が高校生の頃、城山三郎の『素直な戦士たち』(新潮社)という小説が新聞で連載されていました。学歴コンプレックスのある女性が、知能指数は高いけれど才能を活かせず、くすぶっているサラリーマンと結婚して知能指数の高い子供を産み、その子を東大に入れて超エリートにするという計画を持っているんです。最初の子は知能指数が高かったけれど118くらい。一年後に産むはずではなかった次男が生まれると、次男の方が高く156くらいまであった。でも長男のエリート教育を始めてしまったので、知能指数の高い次男の方は放っておいた。長男は、最初は成果を挙げていたんだけど、だんだんと限界が来て追い詰められ、最後は自分の弟を殺そうとする。弟の方が体力も知力も上だったので抵抗し、一緒に落ちてしまう。そして2人とも半身不随になるというストーリーです。
当時はちょうど金属バット殺害事件だとか、東大仏文の先生の孫が祖母を殺した朝倉少年祖母殺害事件、あるいは82年だったか、祖父が東大名誉教授で父親も東大教授、本人は慶応大卒で祖父がものすごいコンプレックスになっていた青年が祖父を「悪魔」と言って殺した斎藤勇東大名誉教授惨殺事件など、その類の事件が多発していたんです。受験地獄で若者の人間性が壊れている、と言われていました。筑紫さんのその番組でも、明らかに新東大生に「自分の人間性が壊れている」と告白させるような意図があったと思います。
今から考えると、そういうことをやると宗教へ行きがちになりますよと思う。
次回に続く
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米原康正×仲正昌樹×菩提寺伸人(菩提寺光世)|2018.02.01