信國太志×仲正昌樹×米原康正×菩提寺伸人 トークイベント第三弾

投稿日:2018年07月17日

photo by s koshino

 

――編集作業が重要になるわけですよね。

 

菩提寺 それは楽音のアウラがなくなった電子音楽の黎明期にも関係している。例えばシュトックハウゼンは、電子音だけではなく途中から少年の声、ラジオの音等をミックスし始めた。当時はサンプラーがなかったので、シュトックハウゼンは著名な現代音楽家だからヨーロッパのクラシック音楽の歴史を踏まえた上で、おそらくクラシック音楽の進歩を前提に国家予算を使って放送局でつくっていた。ジャーマン・ロックになると70年代初頭からNEU!のようにテープレコーダーやミキサーを屈指してその操作の過程自体が骨格になる曲とかがレコード化された。フランスでは放送局、映画の音響関係からミュージック・コンクレートが出てきた。P.シェフェールとか。レコーディングした具体音を回転速度を変えたり逆回転したりしてカットアンドペースト、カットアップ、コラージュして音楽を制作するなど。

 

米原 ヒップホップが出始めた時に、黒人好きの人たちが徹底的にヒップホップを否定したのは、生音に非常に拘っていたから。従来のポップ・ブラック・ミュージックを好きな人たちから、「打ち込みの音が流れる音楽は黒人音楽じゃない!」と全否定されたんです。

 

菩提寺 生音に関しては、昔から常に、様々なジャンル問わず、いつの時代もそういう批判がよく出ますね。正に紋切り型というか。例えば電化したマイルス・デイビスをどう考えるかという特集が70年代当時ジャズ雑誌で組まれてましたが、当時は大半が電化に批判的でした。今特集組んだら逆の結果が出るのではないでしょうか。あと波形から、発振器から創っていたシュトックハウゼンなどの初期電子音楽の「生音」とは何かを考えてみると面白いです。

 

米原 かつてアフリカにいた時に奏でていた打楽器による音楽は基本的にミニマルで同じ音を続けていた。ヒップホップもミニマルだから、通じているものがあると僕は思うんだけど。

 

菩提寺 アフリカの影響もおそらくあるでしょうね。でも根源にもどったら自然人的で魂がある音楽というのではなく、僕としては電気楽器含め他との混交の方向で考えていきたいです。

 

仲正 元々の話から、ちょっと専門的になり過ぎてませんか。

 

菩提寺 深いところを言わないと思想面に入れないので。

FASHIONSNAP.COMより

 

信國 先ほどダンディズムの話題が出ましたが、ダンディな人は大抵、最後は気が狂っていますね。ボー・ブランメルにしてもオスカー・ワイルドも。
マルコムも、アンチ・ファッションをファッション・ワールドでやることはもうナンセンスという考え方でした。そういうことを言い出すと、あまりにも突きつめ過ぎて結局何もできなくなってしまうんですよね。ダンディズムにこだわって気が狂うのもそういうことなんじゃないか、という気がします。マルコムに「マルタン・マルジェラについてどう思いますか」と訊いたら、「彼は充分理解していない」と。アンチ・ファッションと言いながらも、ファッション・ショーを開いたりして、ファッション・ワールドにいるわけじゃないですか。後に結局、マルタン本人は辞めます。勝手な憶測ですが、それで行き詰まったところがあるんじゃないかな、という気がします。

 

仲正 元々は、何故日本でトラップの需要がないか、という話でしたよね。皆さんが話しているのは制作サイドの話でしょう? 何故日本でトラップの参加者が少ないのかというと、多分求めているものが違うんだと思います。日本人の場合、自分で入っていくという感覚がまだ少ない、要するにまだ受容するという感覚なんだと思う。

 

菩提寺 ファッションの話でも同じことが言えますか? 仕立てについて、僕の知っている狭い世界での話ですが、ミラノで修業して帰ってきた人がテーラーとして日本で開業しそこにお客さんが来たとします。ミラノのお店のハウス・スタイル、ディテールと全く同じように作って下さい、あるいは一番古典的な歴史あるミラノのスタイルで作って下さいと具体的に極端に部分的な細部や形式にこだわって依頼する人が日本では結構多い気がします。シューメーカーに対しても同じ様なことがあります。またその「こだわり」がその細部や形式をつくりだした理屈に矛盾するものであっても、そしてそのことがわかったとしてもそのまま依頼するケースが多いと聞きます。仲正先生が仰ったように、日本ではクライアント、お願いする側はその世界にちゃんと入っていこうとしない。全体が成り立たなくなるような部分的な蘊蓄、専門用語に拘泥しすぎる感じがあるのかもしれません。概念を考えて、テーラーに伝えて任せればいいと思うのですが。

 

仲正 ものすごく専門的な知識を持っている人なら言えるかもしれませんが、そうではなくて何となくイメージを持っているだけの人は、とてもそんなことは言えなくて、「お任せします」というのが日本人のメンタリティではないかなと思います。

 

菩提寺 いやいや逆で、専門的な知識を持ってない、持たない人々だからそういうことが言えるもしくは言うんだと僕は思います。

 

仲正 そもそも普通の人間は行かないでしょう。

 

――簡単に言うと、サヴィル・ロウに行って〈ハンツマン〉で服を作りたいと思っている日本人が、そこで修業をして戻って来た日本人のテーラーに対して、ハンツマンのように襟はこう、ここはこういう風に…と注文するということですよね。

 

菩提寺 そうなんだけれども、意味内容をたとえて言うとハンツマンとは別のところで修業してきた人に、例えばパリのスマルトやランヴァンで修行してきた人にハンツマンでは…..と言う位の感じです。

 

信國 菩提寺さんが言う「概念」とは、もっと抽象的なことという意味ですよね。

 

菩提寺 そうです。大まかな内容ということと、それには意味の連関があり了解できて一般性があるということです。

 

米原 他の国では、若い子たちがトラップを聞いて「面白いじゃん」と食い付いて大メジャーになったんです。でも日本で、「これ面白いじゃん」と言った子が少ないのは何故か。世界的に大ブームが来ているのに日本にはない、それは何故か、という話でしたね。

 

仲正 単純な話、自分が何をしたらいいのか分からないからだと思いますよ。自分はクリエイターなのか、付いていく人間なのか、分からない。

 

菩提寺 それは僕が言った話と同じなんです。ビスポークは作り手と客の関係の上からものが出来上がる、成立するということだと思います。

 

仲正 日本の場合、送り手と受け手の区別がはっきりしている。芸能人の追っかけするような人たちは基本的に集団行動しますよね。日本に典型的だと思うけれど、例えばコンサートで一緒に踊る時、みんな完璧に同じ動きをしようとする。「オタ芸」と言われる、アイドルの追っかけのなんてモロにそう。だらしないからオタクと言われているはずなのに、アイドルのコンサートではものすごく統制がとれている。完璧にやらないとオタ芸をやったことにならないというか、そこでは勝手に即興で何かをやる空気じゃない。
日本人は、芸術に自分が一ファンとして参加する際に、「確実にこのように振る舞わねばならない」みたいな鉄板のルールを作ってしまうんです、いまだに。私は実際に見たことはないですが、地下アイドルのファンも非常に統率の取れた行動をとっているようですね。そういう日本人のメンタリティは変わらないんだと思う。自分なりに受容して好きに変形していいという発想はあまり持てないのではないかと思います。
トラップの魅力は、自分なりの勝手な振り付けで、自由なタイミングで入っていけるところだと思います。

 

米原 そう、すぐに参加できるんです。

 

仲正 日本人には、自由に入っていくという感覚が馴染まないんでしょう。パターン化されたみんなと同じ振り付けならば入っていけるけれど。

 

米原 〈Tik Tok〉というアプリサイトがあって、一つの音楽について15秒間だけ自分のプロモーションができるんです。このアプリは〈抖音(ドゥーイン)〉という名前で、元々は台湾のものだけど、中国ですごくウケてるんです。何万曲もあってそこから選べるんですが、日本で流行っているのは、一つの曲をみんなが同じ振り付けで踊る動画。全部同じ振り付けで、その中でどれだけ可愛くできるか等で差異化している感じ。中国、韓国、日本の地区によってそれぞれ違いがあるけれど、日本のものを見ると同じ音にみんなで合わせるのが大ブーム。でも中国の投稿を見ると、15秒の1曲に1日かけて自分なりに工夫したものを撮ってる。それを使って自己表現することに焦点が合ってるわけです。ところが日本では、一つの曲に乗ってみんなが同じ踊りをいかに上手にできているか、に関心が向かっている。使い方がまったく違うんです。

 

仲正 「逃げ恥(逃げるは恥だが役に立つ)」ブームがありましたけど、あのダンスが典型的ですよね。若者言葉で言えば、「完コピ」できそうかどうかに、価値観が置かれてる。

 

菩提寺 完全コピーの話よりも、ダンディズムとファッションの話をしませんか?

 

米原 繋がっていると思うよ。ダンディズムについても、西洋のダンディズム的なものをいかに日本で完コピできるか、でやっている人たちが多いじゃない。

 

信國 トラップについては、音楽の好みの問題で流行らなかったのか、それとも流通とか外部の要因が関係しているのか。僕は完全に好みだけの問題ではないような気がします。人口動態の要因もあるんじゃないでしょうか。海外でファンが多いのは十代、二十代の子たちでしょう? 日本の十代、二十代の人口の層を考えると、一つのムーヴメントを生むほどの数がいないのかもしれない。
僕はトラップが流行らないのは少子化の問題だと思います。僕らの世代から見るとそれほど新鮮ではないし、これを支えるはずの二十代くらいの層が少ないということ。ある程度早いもの好きな人が人口割合の中である程度の層を作っていないとムーヴメントというものはできないものです。トラップを聴くと大衆的なところから始まる音楽ではないと思うので、これをムーヴメントとして熟成する力が数として日本の二十代にはないんだと思います。僕は、好みとか日本人だからという問題ではないと思います。

 

米原 日本のシステム自体の問題ということ?

 

信國 そうですね。僕はサーファーですが、今二十代でサーフィンしている子なんてほとんど見ないですし。

 

米原 でも、人口350万人くらいのエストニアみたいな国でもトラップは流行ってるんだよ。若い子たちが夢中で聴いている。

 

信國 彼らにとっては、ある意味、僕らがラップを聴いたくらいの新鮮さがあるんじゃないですか。

 

――一旦休憩しましょう。後半は仲正先生から「ギャルソン論争」の話をしてもらって、ファッションの話に入りましょう。

 

(休憩)

 

信國太志×米原康正×仲正昌樹×菩提寺伸人(菩提寺光世 司会)|2018.07.17

2018.7.17 投稿|