信國太志×仲正昌樹×米原康正×菩提寺伸人 トークイベント第四弾

投稿日:2018年07月30日

photo by yoko

 

――では、後半を再開します。
80年代に、吉本隆明と埴谷雄高の間で「コム デ ギャルソン論争」と呼ばれる論争がありました。それについて仲正先生から発言をいただきます。

 

菩提寺 以前仲正先生はあの論争について、「きっちりと考察されていない」と仰ってましたが。

 

仲正 『an・an』(マガジンハウス)1984年9月21号で、吉本隆明に〈コム デ ギャルソン〉の服を着せる企画がありました。ビジュアルがメインで文章にはあまり期待していなかったのだと思いますが、その企画に寄せた文章で吉本はこんなことを言っています。
「衣装のファッションの反対物は、すべての制服、画一的な事務服や作業服だ。ファッションが許されなかったあの戦争時代には、男性には二種類くらいの国民服が制定され、女性はモンペ姿が唯一の晴れ着であり、作業衣であり、ふだん着だった。女性たちはわずかに生地の模様を変化させるくらいがファッション感覚の解放にあたっていた。統制と管理と、それにたいする絶対の服従が必要な権力にとっては、制服は服従の快い象徴にみえるし、ファッションはいわば秩序を乱す象徴として、いちばん忌み嫌われるものだった。だから楽しいファッションは肯定されるべきだ」
権力への服従からの「解放」だったわけですね。左翼だった吉本にとって、これは是非とも言っておくべきことだったのでしょう。
「それは管理にたいするはぐらかし、軽い反抗、すくなくとも無関心の旗じるしになっている。そうまでいわなくても、愉しいファッション、それは由緒とか根拠とかを幻惑させる。わけても私は、女子高を出てすぐにOLになったような娘たちや、中学や高校を出て就職しているような若い男たちが、休日や祝日に安そうだけれど恰好のいいラフなファションを着こなして闊歩している姿を、盛り場の雑踏に見るのが好きだ。二種類くらいの制服と作業服、一種類のモンペ姿が着られる衣装だった四十年前の若い男女の、暗く固く貧しい姿は、すなわちわたし(の世代)自身の姿だったからだ。もちろんその頃は社会全体が貧困で、ファッションどころではなかったともいえるかもしれないが、なによりも統制と管理の好きな権力が、多様で安くて恰好いいファッションを若者が身につけるのを忌み嫌ったのだ。ファッションはさり気ない不服従のしるしだからだ」
(「現代思想界をリードする吉本隆明の「ファッション」」『an・an』1984年、446号、pp.74-75.)
要するに、ファッション(モード)を、それまでの身分制と服が一体になっていた体制に対する反抗として捉えています。モードは、大衆を構成する諸個人の創意工夫や自由な生き方のイメージによって本来どんどんと変わるものであり、来ているもので社会的階層が分かってしまう、身分制のある社会に対する反抗になっているのだ、という理屈です。この時代に今さらそんなことを言うのか、という気もしますが。19世紀のヨーロッパだったらまだしも、当時(80年代)の日本でそれを言うか、と。ただ、それまでこういうことをはっきり述べる人が日本の思想界にはいなかったからでしょう。それと、吉本と近いとされる全共闘などの新左翼の学生運動は、従来のマルクス主義のように経済的な平等にだけ拘るのではなく、近代的な管理、画一化からの自由を求めていたとされるので、そうした考え方によりそういうこともあったのかもしれません。吉本にとっては、大衆を構成する諸個人の欲望が、私的なライフスタイルの面でも解放されることが重要だったのでしょう。
これに対し、作家で文芸批評家でもある埴谷雄高が反発し、『海燕』という文学雑誌に批判を掲載します。今の若い人から見れば、両方ともかなり昔の時代の左翼知識人ということで同じ範疇に入ってしまうでしょうが、一九二四年生まれの吉本が当時六十歳だったのに対し、一九〇九年生まれの埴谷は七十五歳で、結構年齢が開いています。昭和の初期に共産党に入党し、活動していた埴谷がマルクス・レーニン主義をなかなか捨てられず拘りを持っているのに対し、吉本の方はとっくに見切りを付けている。批判文は、もはやそんなに先がない埴谷が、まだ先がある吉本の近年の態度に対し、苦言を呈するという形になっています。そうした全般的な批判の文脈の中で、ファッションの話も出てくるわけです。『an・an』への登場の少し前に吉本は、ヨーロッパで盛り上がっていた反核運動に呼応して、反核署名活動をしている左翼知識人の態度を、アメリカに厳しく、ソ連には甘い、相変わらずの型にはまった旧左翼的な態度であり、大衆の反発を招くだけだというように皮肉っていました。左翼の人たちはそれを裏切りだと受け止めていました。そうした流れの延長で『an・an』の記事を見た埴谷は次のように書いています。
「その苦言呈示の思いは、一編集者から一つの大判の雑誌をもらつたことから、惹き起こされました。その大判の雑誌は、一九八四年NO・四四六の「an an」九月二十一日号で、その見開きの両ページに、「現代思想界をリードする吉本隆明のファッション」と題された二枚の写真が掲げられています。
最初の写真には、多くの書物に囲まれた広い書斎で、一六、〇〇〇円のセーター、一三、八〇〇円のダンガリーシャツを着ながら原稿を書いているあなたの横向きの姿が写されていますが、この書斎の天井から垂れているシャンデリアもテーブル、ランプも豪華だと思いながらも、あなたの勉強ぶりに感心こそすれ、苦言などありません。わたしが衝撃を受けたのは、次のページの写真でした。
そこで最も賞賛されるべきは、背後の適切な建物を発見し選びだしたカメラマンというべきでしょう。あなたは半円形の鉄の網窓を背にして腰をかけていますが、その背後のコンクリートの壁には斜めへ放射状に開く数条の襞が走つていて、あなたの頭部は、まさに「光背」を負つているのです。私は、あなたを梅崎春生や武田泰淳や高橋和巳と同じ「内面の強者」である伏目族と嘗て名づけましたけれども、この写真のあなたは伏目でなく、カメラマンの右手を眺め微笑し、なかなかいい顔をしています。
そして、そのとき、あなたは、六二、〇〇〇円のレーヨンツイードのジャケット、二九、〇〇〇円のレーヨンシャツ、二五、〇〇〇円のパンツ、一八、〇〇〇円のカーディガン、五、五〇〇円のシルクのタイ、を身につけ、そして足許は見えませんけれど、三五、〇〇〇円の靴をはいています。このような「ぶつたくり商品」のCM画像に、「現代思想界をリードする吉本隆明」がなつてくれることに、吾国の高度資本主義は、まことに「後光」が射す思いを懐いたことでしよう。
吾国の資本主義は、朝鮮戦争とヴェトナム戦争の血の上に「火事場泥棒」のボロ儲けを重ねに重ねたあげく、高度な技術と設備を整えて、つぎには、「ぶつたくり商品」の「進出」によつて「収奪」を積みあげに積みあげる高度成長なるものをとげました。
今年は国際青年年だとのことで、この一月、NHKTVに、「世界五〇ヶ国の若者一〇〇人が地球感覚で語り合う八十分」の「今夜はみんな地球人」といういわゆる特別番組がありました。その後半部を私が眺めたところ、タイの青年が発言して、日本を悪魔、と呼んだとき、恐らくアジアの数箇国の青年からでしよう、忽ち拍手が起りました。けれども、司会者は、この日本=悪魔説を無視して、最後の「みんなで仲よくやりましょう」まで手際よく進行させてしまいました。
さて、そのタイの青年が、この「現代思想界をリードする吉本隆明のファッション」のCM画像を眺めたら、どういうでしよう」
(「政治と文学と・補足――吉本隆明への最後の手紙」『埴谷雄高全集10 薄明のなかの思想』pp.663-665、講談社。初出:『海燕』1985年4月号)
これに対して吉本は明確に反論していませんが、知識人は”欲望”というものをきちんと知るべきだ、それがどこに流れていくのか見極めるべきだ、という態度を取りました。1984年の本の中では次のようなことを言っています。
「だからぼくは言うんです。商業メカニズムを引っ張っていくことを肯定しろって。還る道がないってことを否定しろと。この人がどんなに反体制的なことを言っても、異議申したてをやっても、こいつは駄目なんだ、これは絶対に否定しろって言うのです。ぼくらも雑誌をやっていますが、こういう考え方がぼくらを根本的に支えています。だから自分が還れなくなったら、自分は手、あげますね。そういう基礎から、社会メカニズムの直截性によってピックアップされて出てゆくこと、これは絶対的に肯定せよ、それは往く道だけはプラスになるんだ、ということなんです。だが、還る道ではマイナスに作用して、風俗化を受けるってことは間違いないことなんです。往く道の限度までゆくとね、現代社会のメカニズムは表現者を風俗化させ駄目にするという働きしかないんです。だからこそ、還れなければいけない。還る、ということが現代の表現の、大事な問題なんです。」
(『大衆としての現在 極言私語』北宗社、聴き手:安達史人)
商業メカニズムによって人間の欲望が大きく変貌している、それをあなたたち知識人は認めたくないのだろうが、それではダメだ、ということでしょう。その欲望にいったん身を任せ、とことんまで行ったうえで、そこで起こっていることを「表現」しないといけない。高みに立って、商業化メカニズムを嫌悪する態度を表明するだけではダメだ、というわけです。埴谷は基本的に、人間の中には貧しい人に自然と連帯する気持ちや、商業主義は恥ずかしいものだという矜持が本来備わっていてるという前提に立って、吉本など流行に敏感な知識人たちはその矜持を失っている、と憤る。対して吉本は、人間の欲望についてきちんと考えたことがないだろう、と反論しているわけです。

 

信國 吉本さんは親鸞論も書いていますよね。欲望についての考え方が通じています。親鸞も、当時の僧に禁止されていた、妻帯や肉食を行ないました。埴谷さんの言うような清廉潔白なピューリタニズム的なものを打ち壊した人です。親鸞論を書いたことにも、その文章で言われていることも、吉本さんのそのような思想が出ていると思います。欲望を否定して、非欲望という実態のないところを目指すというのは甚だおかしい、ということでしょうね。

 

仲正 ポスト構造主義の影響を受けた現代思想でも、浅田彰等が”欲望”の重要さを、欲望の多様性を強調していると思います。『構造と力』や『逃走論』は、主体を一定の型に押し込める「構造」を突き破っていく、無意識に潜む「欲望」の力を論じた本だと思います。マルクス主義で人間の欲望について語るとなると、「衣食住足りて…」という話になりがちです。本当にそれだけなのか? という疑問が当然出てきますよね。それこそSMだったり、それ以外にも人間の欲望はあるだろう。貧乏人だとSM的願望は持たないかと言うと、そうではないわけですよね。他人から見て、「そんなに貧乏なのに、何故そういう無駄で、エネルギーを消費するようなことをするんだ?」としか思えないことをする人は、結構たくさんいる。ベタなマルクス主義の観点では、人間にとっては衣食住足りることが最も基本的であり、そのベースの上に上部構造たる芸術や法律等があるわけです。自分の体をいじめるとか、芸術的なクリエーションをやるのは二の次、三の次だと。だから左派的な知識人や芸術家等は、自分がそういうことを出来ていることに対して、つまり自分が恵まれていることに対して、後ろめたさを感じるべき、という考えが埴谷にはずっとあったのだと思います。
「物質的に恵まれているからこそ…」、と言われると確かにそうなのですが、でも人間の欲望とは本当にそういう基本構造に縛られ、規定されているものなのか? という問いを吉本は問いを発しているのだと思います。まず食べられて、雨露をしのげる住まいがあり、衣の方はファッションとかではなく、まず寒くない程度、そしてモノを少し持ち運べるだけの機能を持つ服をいくつか持てればいい、それが基本。中国の人民服のようなものでいい、より豊かになってからファッションをやればいい。というように、埴谷は無自覚的に欲望の階層を想定しているのかもしれません。

 

信國 埴谷さんの言うことは理念的な妄想ですよね。そんな古めかしい一元的な知識人がいたこと自体がおかしいと僕は思います。それに対して吉本さんの意見はとてもまっとうだと思います。
欲望について。親鸞も欲望を肯定していますが、「理趣経」という仏教の経典がありまして、それには例えば人を殺してもいい、女を犯してもいいと書いてある。それでも地獄に堕ちないという話ですが、それをどう捉えるかが問題です。その通りに捉えて邪教のようなものを作った人もいます。ですが、「たとえ犯しても」と「たとえ」が付いているんです。それでも人間の本質とは善なるものだ、ということのメタファーとして「たとえ」と付いているのに、その「たとえ」を省いて実際にやってもいいと捉える人もいるわけです。埴谷さんのようなピューリタニズムも極端論だし、女を犯してもいいというのも極端論ですよね。

 

米原 2003年は、全世界の〈ルイ・ヴィトン〉の70%を日本人が購入したんです。当時ちょうどゴスが流行っていたので、ゴスとヴィトンを合わせた格好とかも出て来たりして。何が言いたいかというと、アンディ・ウォーホールが、アメリカのすごさということで、一般大衆から大統領まで、みんなハンバーガーとコカ・コーラを食すことを、「アメリカのPOP」と表現したけれど、当時の日本人は子供からおオジイちゃんオバアちゃんまでルイ・ヴィトンを欲しがった。貧乏なら貧乏なりの暮らしは享受できるけれど、ファッションのエンゲル係数が高いわけじゃない。給料10万円の人が3万円のポーチを買うのと、300万の人が買うのでは意味がまったく違う。でも日本人はあえてそれをフラットにして、みんながヴィトンを持つことが幸せだ、というイメージを簡単に植え付けることができる人種だと思うんです。そのイメージを日本中のみんなが共有した結果、全世界の70%のルイ・ヴィトン製品を買っていた。最初に戻るけど、一つのテーマを与えられると勝手にイメージして自分たちで暴走してしまう日本人のメンタリティ。信國さんが話した理趣経の解釈についても、文脈を読まずに「犯してもいい」というところだけを自分たちのイメージとして広げていく人がいる。なんか繋がっているよね。

 

菩提寺 僕も、埴谷さんは80年代にすごいことを言っているなと思います。前回も、80年代は「何でもあり」の時代だったという話になりました。その前は学生なら学生運動に参加すべきという空気がずっと支配的にあったけれど、その雰囲気がなくなったので80年代は「何でもあり」になった。メジャーは『なんとなく、クリスタル』(田中康夫・著)の世界で、アンダーグラウンドは前回話したような状況だった。その時代に、埴谷さんのようなことを言っていること自体が教条主義的で先ほど話した一般性からもはずれていると思います。僕の記憶では、吉本さんが着ているのはツイードのジャケットで、ギャルソンっぽくないなと思っていたんですが、レーヨン・ツイードだったんですね、そこがギャルソンっぽいかったのですね。それを分かって吉本さんが着ていたのかどうかは知らないけれど。

 

信國 僕は、当時、中沢新一さん等がデザイナーズ・ブランドの服を着ているのを見て、自由を感じました。それまでの大学の先生はそういう服装はしなかったので。

 

菩提寺 当時 ギャルソンは、雑な言い方すると、公務員も含め硬い仕事をしているような米原さんがいうところのオジサン(=サラリーマン)と関係ない人が着る服でした。「背広」を着て行くような会社には着て行けないようなものでした。

 

米原 でも84年は、ギャルソンは〈マルイ〉に入っていたんです。つまりマルイで買えた。文化服装学院の子たちとかは、ご飯を我慢してギャルソンを買ってたんですよね。

 

菩提寺 確かに。G.アルマーニとかはマルイには入っていなかった。埴谷さんは「ぶったくり」と言っているけれど、確かに高いかも知れないけれど、6、7万円台。それに目くじら立ててどうするのという感じ。あと僕は資料を持っていませんが、吉本さんはギャルソンについて、「芸術」というような評価をしていませんでしたか?

 

仲正 吉本の『ハイ・イメージ論』(1989年、福武書店→ちくま学芸文庫)所収の「ファッション論」で、ギャルソンのことに触れています。
「「東京国際コレクション・85」で、コム・デ・ギャルソンの川久保玲が見せたファッション・ショーは、内心で思わず唸るほどの感銘だった。ただその驚きはもしかすると初歩的なもので、評価の軸としては邪道かもしれない。ちょっぴりそんな危惧はある。が、どうしてもそのことはあるのだとおもえた」という書き出しで、内容的には、日本人にはまだ到底到達できそうにない、〈人種が違う〉という強い身体的な印象を与える白人のモデルに、日本的な発想のデザインを身に付けさせることで、通俗的なエキゾチズムを超えた、差異を際立たせていく手法に感銘を受けた、という主旨のことを述べています。難しい文章なのですが、要は、元々ローカルな性格が強く、地元の人の身体に合った民族衣装的なものを、それとは根本的に異なった身体性の人に着せることで、差異を作り出すことこそ、ファッションの本質だという議論です。そして『an・an』に掲載されたコム デ ギャルソンの服の配色について、図示しながら彼なりに分析しています。

 

菩提寺 『相対性コム デ ギャルソン論―なぜ私たちはコム デ ギャルソンを語るのか』(西谷真理子・編、2012年、フィルムアート社)で千葉雅也さんらが、特にメンズブランドのHOMME PLUSをディスるというスタンスで語っていました。メンズは恰好よくない、シェイプされてない。芸術と比べるとお話にならない、例えばアヴァンギャルドと言ってもデュシャンの泉と比較したら問題にならない、というような話をしていたと思います。

 

信國 それはまたナンセンスですね。

 

菩提寺 今のは僕の伝え方が良くなかったと思いますので、かなり長くなりますが、本を見ながら付け加えますと、ストリートファッションの「コーディネートする」と、それに先行したアヴァンギャルディズムが合わさった90年代が青春だった千葉さんらとしては、ランナウェイ上の服だけを対象にして前衛的と捉えて行く、そんな神話的なギャルソンに対する評価、語り口に違和感がある。よって「本気の批評」を辛口でしてみるということで、ギャルソンに対する「モダニズム的言説」を批判しています。それはどういうことかというと、ザ スタディ オブ コムデギャルソンに「型紙の制作下でどこまでのことができるかと実験をすると形態的な面白さが出てくる」という表現があり、それに対して千葉さんは「パターンのある種の原理主義に基づいた分析をして」ギャルソンは「表面的なことやっているじゃないんだよ」と主張しているかのようにみえる。「そういうのをほめるのが典型的なモダニスト的言説」でC.グリーンバーグのメディウムスペシフィック概念を、ファッションに当てはめると「まずパターンから作られるというのが衣服というメディウムの特性であるとして、そのことを純化する」ということで「これは抽象表現主義とかミニマリズムの文脈と繋いで考えることができる」「そういうのが現代美術みたいで立派と褒められるのはわか」らないではないが、「ファッションっていうのは本当に保守的な世界だったんですね。だってデュシャンの便器なんてはるかずっと前のことでしょ」という話でした。
わかる気もするけれども、これも男物の服に関しては、ずれがあるかなという感じがします。ギャルソンが「嫌儲ファッション」「ようするにお金儲けをすることを馬鹿にするタイプの種族の人たちが好む」「ある種の清貧志向」いうところは興味深かったです。さっき僕が言った「着て行けない会社」と矛盾するような、しないような。あくまで「嫌がる人」であって、しない人とは限らない。また川久保さんは昔インタビューでクリエーションとビジネスは拮抗しない。長い時間仕事をするのは当たり前という話をされていたと思います。左翼的な二項対立の単純な図式に埴谷さんのように当てはめても的外れな感じになるのではないでしょうか。

 

仲正 埴谷雄高の話がおかしく感じられるのは、欲望に善悪があるかのような語り方をしているからでしょう。多分、過剰な欲望は悪だという感覚があるんだと思います。ファッションでも芸術でも自分の好みを言うのはいいけれど、良い悪いという話にするのは興ざめです。ファッションを思想の問題にする際には、例えば、「これは欲望をそそられるけれど、何故これは欲望をそそられないのか」「何故これはセンスが良いと思えるのか」という問いを立て、分析するべきです。そうでないと思想家が語る意味はないです。
埴谷の稚拙なところは、欲望の本質を分析する前に自分で善悪を決めてしまっている点です。「欲望とはそもそも、どのように人間の中で発生するのか?」「何故人間にはモードに対する欲望があるのか?」。これらは哲学的な問いです。「何故制服だと駄目なのか?」。これは社会学的でもありますね。そういうレベルの議論をすればいいわけです。吉本は、先ほど引用した制服についての議論等に見られるように、彼なりにそういう議論をやろうとしています。吉本自身のファッションの欲望論は、正直それほど深まっている感じはしないけれど、吉本より二十五歳若い鷲田清一さんは、少なくとも『モードの迷宮』では哲学的にそれをやろうとしています。メルロ=ポンティの「スタイル」論等を援用して哲学者の立場で欲望を分析している。『モードの迷宮』以降はネタの使いまわしの印象がありますが。良し悪しの前に、「人は何故他人と異なろうとするのか?」「何をもって他人と違うとするのか?」「どこに自分と他人との違いを見つけようとするのか?」、そのような問いをきちんと分析すべきなんです。吉本や鷲田清一はこの時代(80年代)に、ファッションに典型的に見られる、「欲望」の多様化という思想的課題が浮上してきつつあることを察知していたのだと思います。

 

信國太志×米原康正×仲正昌樹×菩提寺伸人(菩提寺光世 司会)|2018.07.30

2018.7.30 投稿|