何の脈絡もなく繋がる映画がある。
その場面(映像や音)に出くわした途端、時代も国も関連はないと思われる異なる映画をそこにみる。
私は今まで系統的に映画を観ることはなかった。それでも関心がある映画をジャンルで問われると回答はネオレアリズモで、無関心なのはヌーベルヴァーグなのだろう。
とは言え、ロッセリーニの「無防備都市」はよく分からず、ルイ・マルの「地下鉄のザジ」は嫌いでないものに数えている。要するに一般的にくくられるジャンルと私が繋がるとする映画の隔たりは極めて大きい。
それを改めて知るきっかけとなったのは、田辺秋守さんだった。おそらく膨大な数の映画を系統的に整理されている彼の質問に対し、私の回答がかなりちぐはぐであることを彼以上に当の私が知ることになったからだ。
冷たい雨が止まぬ晩秋の夕刻だった。
アンドレ・マルローの「希望 テルエルの山々」(1939年)の終盤の場面。スペインの内戦でフランコ率いる反乱軍に抗する人民戦線の飛行隊が山脈に激突。おびただしい数の民衆が、切り立つ岩壁を蟻の群れのようにバケツリレーで墜落した兵士を運び出す。既に命を落とした兵士、残り数時間の命と悟る兵士もいる。その兵士が担架から目にする最後の景色になる空を仰ぐ。ふわっと上昇し、空を漂い、流れる鳥の群れ。死を間近に迎えた兵士が、生と交換に肉体からの解放と自由を獲得する瞬間を上昇する鳥に表される。
うろ覚えではあるが、山中貞雄の「人情紙風船」(1937年)に理不尽にも貧困の境涯に追い込まれる浪人と対照に、自由に空高く鳥が大きく旋回する場面があったことを記憶する。
野犬をシンボリックに導入したのは、勅使河原宏の「おとし穴」(1962年)だった。変化する時代と不況によって閉山になる炭坑山。複数に組織化される組合闘争の渦中、到底納得のいかない殺人によって命を突如落とし、幽霊となった坑夫の視点を通じ事実が映されるという構成の映画である。その中で、荒寥とした夕闇のボタ山をさまよい歩く野犬のシルエットが浮かぶ場面がある。
情勢に翻弄され続け、死んでもなお、抗しきれない現実に圧倒される坑夫の姿と、目的地なく歩き続ける野犬のシルエットがみる者に重なる。
劇映画のなかに見え隠れする現実。
どの映画も権力に抵抗する人の内面が、風景に出現した鳥や犬に置き換えられ表現されている。
鳥の群れを巡って重なり繋がる映画がある。
鳥の群れの羽ばたきが、視覚から、そして聴覚から感情をざわめかせ揺さぶる、そのような映画。
よく知られているものにはヒッチコックの「鳥」(1963年)がある。しかしここでは作品そのもののテーマとなって表現されるものでなく、映画の一場面で表出され、私がそこに見た他の映画を追っていきたい。
サタジット・レイ「大地のうた」(1955年)、どうすることもできない貧困生活のなか娘を失った母が、慟哭する場面。
耳をつんざく母の泣き叫ぶ声が、無数の鳥の群れの羽ばたきと重なり合い、移行し、空間をかき鳴らす不協和音となってインドの楽器がざわめき立てる。
この映画のこの場面が現れたのは、小栗康平「伽倻子のために」(1984年)の一場面であった。日本と朝鮮という二つの国の間で、自分が何者か分からず身が引き裂かれそうになる少女、伽倻子が、自分の心のうちを爆発させて泣く場面がある。引き裂かれる伽倻子の心情を、春が遠くない冷えきった夕闇迫る北海道の上空の渡り鳥の大群に映し出す。泣き出した伽倻子の声と同時に大群が空にあがる。一つの大きなうねりとなっていた群れは分断し、二つになり、また一つになり空中をうねる。
さらに、抑えることの出来ない心の叫びと爆発を鳥の群れで描いたのは、パゾリーニ「大きな鳥と小さな鳥」(1966年)もそうだ。
こちらは苦心と苦行の末、初めて自分の言葉が鳥に伝わり会話に成功した修道士が、空中に舞い羽ばたく鳥の群れと共に、沸き上がる喜びに舞い踊る場面。喜びが羽ばたき、羽ばたきが昂揚させる。
さざめく羽音は、喜びを沸き立たせ、鼓舞する不協和音だ。
音から無数の鳥と、人の強い感情の発露がみえる。
映像から叫びと喜びが聞こえる。
脈絡もない映画の繋がりを繋がりとして捉えても、それはそれで私の中だけで終わる話なのかもしれない。
しかしある時、戎居(社長)に代わって南果歩さんにお会いすることがあった。伽倻子を演じた彼女にどうしても質問したかった。「. . . 監督はサタジット・レイに大変関心をもっていらっしゃいました」の回答に、私はパズルのピースが合致する快感を得ていた。
「おとし穴」の野犬のエピソードについては、元テシプロプロデューサー野村紀子さんに訊くことにしよう。
田辺秋守さんは、とりとめもない私の話を整理して下さるかもしれない。
今朝からの雪は、雨に変わり、止んでいない。