ビスポークとクラフツマンシップ

投稿日:2013年03月06日

複数の人のなかにあって活動は成立する。
活動は、inter – homines – esse 人々の間に在る(生きる)ところにある。
それは、個(人)が滅しても、ポリスに記憶される。

 

先日の rengo DMS哲学塾、アーレントについての講義での話だ。

 

ステファノ ベーメルと出会ったのは、初夏のフィレンツェだった。日が射す表通りを歩いていると暑さが多少気になるけれど、石畳の裏通りに入るとひんやりする程度の澄んだ空気。そのくらいの季節。
きっかけはごく短い会話だった。
「なぜ僕の靴が、あなたの関心を惹いたのか」
彼は駆け出しの靴職人で、私と夫も自分の仕事のこれからを模索している頃だった。初めの頃は、もっぱら私たちが質問する側でステファノが回答していた。イタリア人のサービス精神は、時として話に尾ひれがついてしまうが、ステファノは靴に関して慎重で分からないことがあると調べ、本を紹介してくれた。
私の手元には彼が靴について教えてくれた様々が、一冊のノートとなって残っている。

 

一度、注文する靴を巡り、ステファノと夫の意見が衝突したことがあった。
ヨーロッパの伝統と形式に収まりきらない夫の依頼に、ステファノは「エレガンスの決まり」を盾に応じかねると譲らない。夫には夫の考えがある。奇をてらうのは、両者ともによしとしない。なのに意見は合致せず、徐々に激しさを増す二人の口調の間で私の体力は消耗していった。
翌日も議論は再開された。ステファノのパートナーは私に目をやり、肩をすくめた。

 

緊張は前触れもなく解かれることになる。
ステファノがあっと声をあげ、夫を抱きすくめたのだ。
「今やっと、言ってることが分かった」
詫びるとも感謝とも判断がつかない表情と静かな声で。
それは次のように言った夫への回答だったのだろう。
僕は、ステファノのスタイルを変えてくれとは言わない。ステッチのピッチを細かくとか、シャンクの素材が何だとか、技術について言えることも、言いたいことも何もない。僕が言っているのは、僕はヨーロッパ人ではないし、髪も目も肌の色も住んでいる所もステファノとは違うということだけだ。

 

その頃からだ。ステファノと夫の質問の量が逆転しはじめたのは。

 

戎居が靴を注文した時、ステファノは面白そうに耳を傾けていた。
商談で改まった席に着く時、和食なら大抵の場合は靴を脱ぐ。初対面でも靴を脱ぐ。着脱は速やかに、客を待たせるわけにはいかないから。
そこで仕上がったのが、呼称「akindo model Ⅰ」。紐で足のむくみを調整し、紐を解かずに着脱できるサイドゴアの靴。

 

続いては、ステファノからの提案。
名前のイニシャルを飾り文字にし、紋章のように施してはどうか。アルプスの地域に伝承される刺繍の技法でメダリオンのように靴にあしらってみてはどうか。
ならば、ローマ字でなく漢字「戎」の文字を、こちらがデザインしてみる。
そのようなやりとりのなかで出来たのが、「akindo model Ⅱ」。

 

Bespokeは、be spoke話し合いながら作られるという意味から生じたオーダーメイドを指す言葉だが、モリスが提唱したクラフツマンシップ同様、本来手工芸の技能だけに固執した意味ではないだろう。それはモリスが開設したケルムコット・プレスの製本が付加装飾でなく、タイポグラフィーによって「それが仕える用途に一つの技能が適合することから生じる必然的で本質的な美しさ」即ち、実用性を追究されていたことが物語っている。

 

アーレントの講義が終盤にさしかかった時、出だしの話が補足された。
inter – homines – esse の人を表すhominesを取ると、ドイツ語のInteresseです。

 

「なぜ僕の靴が、あなたの関心を惹いたのか」

 

彼の声と言葉は、私のなかに記憶されている。

 

 

 

akindo model Ⅱ

 

2013.3.6 投稿|