位置するところ — 小栗康平監督を巡る 後編

投稿日:2016年03月05日

cameraworks by Takewaki

 

社会から、文学、演劇、絵画などがなくなってしまえば、その社会は滅びるだろう
津島佑子が遺した言葉
                                                                

   
「(松竹)ヌーヴェル・ヴァーグとは一線を画してきている」(『泥の河』DVDブック)と思える、と浦山桐郎を評する小栗康平だが、小栗監督もまたフランス、松竹どちらのヌーヴェル・ヴァーグとも、さらには彼が評価する小津安二郎とも一線を画してきていると思える。

 

映画評論の月刊誌『カイエ・デュ・シネマ』から発生したフランスのヌーヴェル・ヴァーグと、撮影所の内部で映画産業の施策的要素を伴ったであろう、(反小津とも評される)松竹ヌーヴェル・ヴァーグを同じ括りで語ると無理が生じるだろう。とは言え、小栗康平を松竹ヌーヴェル・ヴァーグのみならず、小津安二郎とも一線を画してきていると思える理由は、両者の映画の主題にある。
小栗監督は小津映画を「清明な〈場〉」を描いていると評する。小津映画で題材とされる家族の多くに、とりわけ起伏のある物語が展開するのではなく、娘が嫁ぐというような、ごく日常的な当たり前の別れが訪れる。一般家庭の日常のいわば慶事による別離は、特に悲劇的なことではないだけに、当たり前すぎる日常にあることが、実は「尊い」ことであることを画面のなかで表現されている、というのである。

 

一方で小栗康平が表現している〈場〉とは何であろうか。小津映画に、どこにでも、いつにでもある日常の普遍性があるとすれば、小栗作品にはその類いの普遍性はないだろう。小栗作品にある〈場〉は、それがたとえ戦争の文脈に直接は位置しないとしても、そこでなければならなかった〈場〉が、その〈時〉に成立している。脈絡を追うことが困難になるような主体が揺らぐ『埋もれ木』や、人との関わりで主体を確認するような『眠る男』であったとしても、作品が〈場〉の持つ文脈のなかで根付いていることに、見るものは気付くだろう。
それを見るのは、とりわけ戦争の文脈で描かれる作品においては容易く、明確だと思える。

 

「身体は別な場所に行くことができても、心までは離れることができない。イム監督の言葉だ。」(『じっとしている唄』小栗康平)
韓国を代表するイム・ヴォンテク監督は、日本統治下の朝鮮、さらに朝鮮戦争で民族が分断された経験の記憶を持つと言う。
そして小栗監督『伽倻子のために』の伽倻子(かやこ)もまた、場所から離れることができない心を持ち続けながら、しかしだからこそ自分が在る今の場所から逃げるように離れて行く。他の誰のためでもない「伽倻子のために」、自分の居場所を求め続けるからである。

 

両親日本人の子として生まれ美和子と名付けられた少女は、戦後の混乱期に朝鮮人の養父クナボジに拾われ伽倻子と名付けなおされる。自分が何者なのか揺らぐ伽倻子は、育ての親元を去り、生みの母の元へと姿を消す。同様にアイデンティティーに確信が持てない在日朝鮮人二世の青年サンジュンが伽倻子を迎えに行く。早春の冷え冷えとした北海道の大地で、少女の硬さを身体にも心にも残す伽倻子が、引き裂かれるような思いのありったけをサンジュンにぶつけ、彼の腕のなかで受け止められる。まだ若い二人の貧しくも新しい生活が、東京で始まる。

 

国家の事情で、日本人とも朝鮮人とも在日とも、確固とした足場を持てない二人が夜道を散歩する場面がある。世界から雑音が消え静まった深夜に、配水管に水漏れなど不具合が生じていないか地下の水音を頼りに確認する調査員に出くわす。
自分たちの足元のさらにその下に配管水路があることにあらためて気付いたふたりは、揃って道路に横たわり下の世界に耳を澄ます。
この場面を小栗監督は「別れ別れになるであろうサンジュンと伽倻子がアスファルトの道に横たわって、聞くこともならない地下の水音に耳をすます、二人の不安定なショット」(『じっとしている唄』)と表わしている。
伽倻子とサンジュンも、そして映画を見ている私たちも、この若い二人の結びつきが、やがては離ればなれになってしまう行く末を越えられるものではないだろう、とどこかで予感する場面である。
そこには避けては通れない戦前と戦後の文脈があるからだ。
この物語が、抽象的な状況下で展開される貧しく若い男女の話であるならば、おそらく予感しない別離であろう。

 

『FOUJITA』 はFOUFOU(お調子者)とパリで呼ばれていた画家、藤田嗣治を描いた映画である。しかし藤田嗣治を描いた映画と書くことに抵抗を覚えるのは、これが伝記作品といった類いのものからはほど遠い印象を持つためだ。おそらくそれは、「エピソードは言葉で語られるから、歴史的な事柄に縛られがちだ。–(中略)しかし人の、その時々の感情、感覚の在りようは、どんなときでも歴史から自由だ。むしろその感覚を生き直していくことの方が、私たちが歴史を生きる意味ではないかと思う。」(『じっとしている唄』)、からだろう。

 

エコール・ド・パリの寵児だった1920年代のフジタには、フーフーの異名通り、夜の街を騒がせる突飛で派手なエピソードがつきまとう。それに反し絵画には独特に日本的な静けさがある、と監督は指摘する。その通りに、20年代に描いた作品は、日本画のフレームに、緻密な装飾が施された異国の女が貼り付いているように平面的であり、なのに冷たい空気が漂う空間を感じる。言葉をひと言も発しない低体温の裸婦がいる。そのような印象だ。
戦時中フジタは日本に戻る。そして「戦争協力画」として『アッツ島玉砕』を描く。画面は、負傷し、熱い血を噴き流して息絶えて行く日本兵たちで埋め尽くされている。絵画面のあちらこちからから銃声とうめき声があがる。
20年代と40年代、フジタの技法的にもおそらくは全く違う画風の作品を併置すれば、そこから立ち上がるものがあるだろうと考えた、と監督は言う。20年代には、パリでエキゾチックな日本人画家としてもてはやされ、40年代戦時中に帰国した軍の中枢に近い家柄の「戦争協力画家(フジタ)」の作品は、伝統的な西欧油画技法を持って真に迫る作品、と崇められる。
そして1949年、戦争責任を背景にフジタは日本を去った。

 

きっちゃんも伽倻子もサンジュンも、そしてフジタも個人を超えたところの事情で彷徨を余儀なくされる。

 

津島佑子氏葬儀の時に、喪主津島香以(石原燃)氏から、遺された言葉を伺った。芸術で社会を変えることはできない、とその無力さを嘆いた娘に彼女はこう言った。
「しかし社会から、文学、演劇、絵画などがなくなってしまえば、その社会は滅びるだろう」と。
先述した小栗監督の「その感覚を生き直していくことの方が、私たちが歴史を生きる意味ではないか」の言葉と津島佑子が遺した言葉が、私の中ではピタリと重なる。私たちは芸術を通じ疑似的に、または追体験するかのように生き直している。そこから生じる共感や反感と呼べる感情や、共鳴し反響するような感覚で社会は作られて行くように思う。

 

今なお、戦後すでにして恐怖と憎悪におびやかされているこの世界、現実なるものがもはやそれ自体としてはほとんど愛されず、政治的旗印としてのみ拒絶されたり擁護されたりするだけのこの世界(『映画とは何か』アンドレ・パザン 野崎歓他訳)

 

参考文献: 『じっとしている唄』 小栗康平 白水社
  『泥の河(DVDブック)』 小栗康平 駒草出版
  『映画とは何か』 アンドレ・パザン著 野崎歓他訳 岩波書店

 

 

 

関連ブログ: 『位置するところ — 小栗康平監督を巡る』前編
  『水に見るしるし  津島佑子とI・ベルイマン』

 

菩提寺光世|2016.03.05

2016.3.5 投稿|