なくす

投稿日:2017年04月03日

–、あの恋しやを英語で言うと、アイ・ミス・ユウになるって、私の存在からお前が欠け落ちている、故に私は充分な存在になれない、–

 

津島佑子 『「私」夢の歌』新潮社

 

cameraworks by Takewaki

 

 

朗読会二週間前から一週間前
今年二月に朗読会「夢の歌 〜津島佑子を聴く〜」が津島香以さんによってrengoDMSで開催されたのは、彼女が昨年帰天したと同じ18日。その丁度一週間前の週末に義父の通夜、告別式を終えたばかりの土曜の夜のことだった。義父危篤の知らせを受けたのは、さらにその一週間前のことで夫は診療のさなかだった。仕事を終え西へと向かう新幹線は雪に阻まれ、夫と私が到着した時、義父は既に息を引き取っていた。急な休みが取れぬ仕事柄、告別式は一週間先の週末となった。同じ職業であったから義父はきっと分かってくれるだろう、そうは思いながらも義父の傍らで立ち尽くす彼の感情が、冷えきった小さな部屋に静かにざわめいていた。高齢であった義父は長い時間をかけて少しづつ消えていき、今なお仄かな気配を残してくれている。元気だった頃も亡くなった後も変わらぬ静けさを持つ義父だった。

 

朗読会はじまりの時

18時、会は女優田根楽子さんによる津島佑子「私」の朗読からはじまった。「アイ・ミス・ユウ」声にすきま風が吹く。続いて小説家星野智幸さんの朗読。集まった人びとは、ひとつひとつ言葉を拾い上げては声に出す作家の朗読を、同じようにひとつひとつ受け止めていた。朗読は歓談や会食の時間を置きながら、他の読み手にバトンタッチされる。情景を立ち上げ、聴き手を引き込むような木内みどりさん等人前で語ったり、演技をすることを本職とされる方々のものと、作家の朗読はひと味異なっている。抑揚がほとんどない作家の朗読は、聴き手が本を読むように思い思いの情景を作っているようだ。そういえば以前、ドキュメンタリー映画「海の聲」の平出隆さんの朗読で私は心地よい眠りに誘われ、いつの間にか眠って、目が覚めた時のスクリーンの海は同じようなリズムを保ち、波が行ったり来たりしていた。声は波に乗っていた。やはり作家の朗読は聴き手任せなのだ。そのようなことを思いながら、主催者津島香以さんへの平出さんからの言付けを心の中で反復した。

 

昨年末から朗読会まで

津島佑子さんと平出隆さんの関係が古くから深かったことを知らされたのは、今年初めのメールのやり取りのなかでのことだった。昨年末に私が津島佑子「狩りの時代」の読書感想をブログ掲載したことがきっかけだった。平出さんが70年代から「文藝」で若手の実力ある作家であった彼女の担当編集者であったこと、編集者としての職を辞された後、彼女と再び始まった交流のエピソードを教えてくださった。そして最後に、かつての時と、何十年を隔て意見を交わし合った時と、その二つの時に在った二人の津島さんを重ねられ、

「重なったまま想起されます。」

とメールは閉じられていた。
平出隆「伊良子清白 日光抄」(新潮社)のなかで、長らく疎音であった横瀬夜雨に伊良子清白があてた賀状を引いている。
— わが病める君を思ふの念は 十年前の昔も十年後の今も径庭無之、 –
10年前と10年後に隔てるものがないのは、思う念だけではないかもしれない。かつての若き日の姿と、その後の長い歳月を過ごした姿が、姿を消してしまった今に重ねて想起される。重要なことは、その記憶や思いが私という「他の誰か」に伝えられたということ。消えたことで、隔たりがなくなり新たに生まれたものがあったということ。

 

朗読会当日

巻上公一さんにお会いした。「rengoDMSにディスプレイされているレコードは誰がセレクトしたのか」と声を掛けて頂いた。私が全く同じ質問を受けたのは、これが二度目のことだった。一度目は鋤田正義さん、そしてこの日。音楽関連ディスプレイ以外のインテリアの多くは私が関与しているので回答できるが、レコードやオーディオ機材の全ては夫によるものだから充分な回答はできないと私が詫びると、どのような音楽に彼は関心があるのか、とさらに難しい質問がやってきた。それを正確に回答しようとすればするほど迷宮の奥へ、さらに奥へと入って行ってしまい、回答が大変困難であることを説明しようと、あらゆる方向からの迷宮脱出を試みる私を不憫に思ってくださったのか、ようやく話は音楽から離れ、ほっとした。その夜、巻上さんと共通の知り合いであったイギリス在住の鞄職人和井内京子さんにメールを送った。翌朝受取った「面白かったでしょう。本物の仲間です」の返信に、FacebookなどSNSから離れた生活を送る私に、全く予期せぬ時の縁を不思議に思った。

 

朗読会中盤
仏教式に言えば一周忌にあたるこの会のはじまりは、なんとなく偲ぶ会風な感じではあったのだけど、徐々に熱気を帯び賑やかになっていき、まるで何かのお祝いの会のようになって行った。一番の要因は振る舞われた食事にあるだろう。次には演出だろうか。

Kalyiman Umetbaevaさんの演奏で初めて聴いたキルギスの民族音楽は、耳だけでなく視覚も充分楽しませてくれた。コムズと呼ばれるウクレレとギターの中間サイズの弦楽器は、一本のあんずの樹から作られるという。ボディーを軽やかに叩き、弦をはじく手がコムズの上を白い小鳥の羽ばたきのように飛び立ち、舞い戻る。気持ちが良くなる演奏だった。聞けば、巻上さんがお呼びになられた演奏者であるらしい。
アイヌの詩をアイヌ語とフランス語で聴かせてくださったのは、小野有五さん。フランス語のピッチが揺れて尾を引き、次の音に被さってゆく。その響きに、ホメーロスを想像した。
食事は、以前津島邸で開かれた催しの時にお会いした料理研究家富樫沙恵子さんのチームによるブラジル料理の数々が、冷たい料理はひんやりとした器に、温かい料理や飲み物は十分に暖められた器に盛られ、絶妙なタイミングで次から次へと出て来た。次から次へと出される具合が、津島邸でのあの時と全く同じで、会場関係者だからと遠慮がちにしていると「食べてる?美味しいよ、これ」と所々で声がかかり、しまいには私が「食べてる?美味しいよ、これ」と所々で声をかけていた。充分以上の質とボリュームの料理が人を和やかに繋げた。招かれた人びとが招いている人であるような、津島さんや香以さんの周囲の人たちそれぞれのホスピタリティーが行き交った。

木内みどりさんとは原発の話で息があった。木内さんがパーソナリティーを務められるラジオ番組に私どもがお世話になっている弁護士河合裕之さんをゲストとして招かれたという話からだった。
壁掛けの花器に投げ入れられた椿の陰から津島さんが様子を伺っているようだった。以前彼女の自邸で、煙草の煙りが決して他の人に届かぬように換気扇のもとで身を潜めてらした時と同じように。

 

朗読会終わりの時

残った料理は、デザートに至るまで全て参加者が持ち帰った。翌日曜の家族とのブランチが想像される嬉々としたタッパー詰めだった。

先に帰路につく参加者は、残った参加者に見送られた。口々の挨拶と再会を約束する声がエントランスに飛び交った。集まった一同がひとり、またひとりと消えて行った。

23時を過ぎ、後片付けを終え寛いでいらっしゃる富樫さん料理チームにお礼を言って私も会をあとにした。料理もさることながら会場にあしらわれた草花がさりげなく素晴らしかった、と伝えると香以さんが「母らしい感じがした」と言われ同意した。同意の途端に見せた香以さんの「おやっ」とした表情に、初めてお会いしたときの津島さんの表情が重なった。さらに別れ間際の名残惜しいと言うより、少しつまらなさそうな表情に津島さんが再び現われた。
「ほんとに面白かった」と言ってしまったその後で、会の性質を思い出し失言を詫びる私に、香以さんが「それでいいんです。そう言って貰えたことが一番嬉しい」と返された。

 

その後

義父の満中陰の法事を終えた。

今年に入って映画も本も全く読めなくなってしまっていた。仕事以外の手紙は全く、メールもほとんど書いていない。風邪も引いた。何をやるのも気が乗らない。料理もしたくなくなった。ご飯は美味しい。だからまだまだ大丈夫。
きっかけは、「津島佑子 土地の記憶、いのちの海」(河出書房新社)に収められた「社会との向きあい方」と題される津島香以さんエッセイだった。朗読会の報告文を書いてみようと思った。都合がつかず会に参加することが出来なかった平出さんにご報告したくもあった。エッセイにはこう書かれていた。

「 私たちが生きる社会は喪失と再生の繰り返しであり、そこに豊かさがある。– 中略 –

津波と原発事故で多くのものが失われた。– 中略 -

プルトニウム二三九の半減期である二万四千年という時間は、人間からしてみれば永遠に等しく、喪失することができないという新たな恐怖だった。それは、喪失と再生を繰り返してきた人間の想像力をぶち破った、と母は言う。」
内蔵を引きちぎって持って行かれるような、息子をなくした喪失の痛みを余儀なくされた津島佑子が、喪失に希望を見出し、消えない恐怖に対峙する姿だった。

 

津島佑子「私」(新潮社)に戻って
何年も前に頂戴しながらも、ずっと置き去りにしていたこの本を、私は津島さんをなくしてから読んでいる。はじまりは、誕生でなく死であったのだ。そして「私」は再生される。

 

もし「私」がずっと帰って来なかったら、気持ちのいい軽い風が海から吹いてこないか、気をつけるんだよ。そうしたらおまえは海辺に出て、遠い沖を見つめるんだ。すると鳥の群れが陸に向かってくるのが見えてくる。いいね、その先頭に首のない鳥が一羽飛んでいる。それが「私」なんだ。ちゃんとその「私」を見つけて、拝んでくれるね。

津島佑子 『「私」鳥の涙』新潮社

(引用文中「」は傍点)

 

菩提寺光世|2017.04.03

2017.4.3 投稿|